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「アメリカで1人で生きていく」ということ

2001年6月18日[BizTech eBiziness]より

 自分より若い人からの真剣な相談にはできるだけ乗るようにしている。つい最近も「ビジネススクールを卒業した後、日本には帰らずにアメリカでやっていきたい」と考えている人に会った。日本企業の駐在者という形では、アメリカに住んでいても、「アメリカで1人で生きていく」ことにはならないから、そうではない形でやってみたいと彼は言う。

 こういう発想をいっとき持つ日本人は決して少なくないが、現実に「アメリカで1人で生きていく」ことを選ぶ日本人ビジネスマンは極端に少ない。

 こういう相談に対して、私はいつもこんな風に答える:「それを実現できるかどうかは、人生のデザインにおける戦略性の問題と、その戦略を粛々と時間をかけて執行していく気があるか(つまり“アメリカで1人で生きていく”というイメージを、人生における他の選択肢との比較の中で、どれだけ強く思いつづけられるのかどうか)にかかっている」と。

 まず、戦略性を持つための最低条件は、きちんとした情報を持つことだ。情報が不足していると、「解のない問題」を考え続けなければならなくなってしまうことが多い。「アメリカで1人で生きていく」ということを考える上で最も重要な情報は、就労ビザに関する情報である。

 何かの理由(両親がアメリカ滞在中にアメリカで生まれたとか、アメリカ人と結婚したとか)で米国籍やグリーンカード(米国永住権)を持っている特別な人は別として、普通の日本人にとって「アメリカで働ける許可」はまず必要不可欠だ。就労ビザの取得には「スポンサーが必要」ということを忘れてはならない。つまり「アメリカで1人で生きていく」最初のきっかけというのは、誰か(普通は就職先の会社)がスポンサーになって「私たちはこの人にこれだけの給料を支払うことを保証しますからビザを出してくださいね」と、就労ビザ(たとえばH-1Bビザ)発行を米国政府に申請してくれなければならないのである。

 ただ当然のことながら、ビザを発行してくれた会社を辞めてしまえば、そのビザは失効する。「日本に帰るつもりで辞める」のならば別に問題はないが、アメリカ国内で転職しようとしたら「転職の話がまとまって、転職先の会社が就労ビザを取ってくれている間は現在の職場で働き続ける」というかなりトリッキーなことをしなければならない。

 よほどその人に明確な価値がない限り、転職先企業がビザを取ってまで引き抜いてくれるという状況は発生しないので、現実的にいうと「辞める権利」を事実上持たない状況での就職ということになる。

 つい最近、小林至氏(元千葉ロッテマリーンズ・投手、コロンビア大学でMBA取得後、米国企業に就職、いろいろあった後、解雇されて日本に帰国)の「僕はアメリカに幻滅した」という本を読んで面白かったが、彼の経験は「アメリカでの就職事情」の現実を知る上でとても参考になる。小林氏はその経験ゆえに「アメリカに幻滅する」ことになるわけだが、二極分化社会アメリカの「下で頑張ることから始める」というのは、先進国になってしまった豊かな国・日本からやってくる日本人には、いささかつらいものがあるのだ。

 そこで皆、何とかグリーンカードを取得したいと思うわけである。むろんグリーンカードを持てば「アメリカで1人で生きていく」ことができると言っているのではない。その目標のための必要最小限のアイテムとして、グリーカードが必要だというに過ぎない。それがなければ、たとえば配偶者は働くことはできないし、今述べた転職の問題も含めて、アメリカで生きていく上でさまざまな障害が出てくるからだ。

 でもグリーンカードというのも、そうおいそれとは貰えない。企業側もグリーンカードを取得してあげれば「いつでも辞められる権利」をわざわざ付与することになるからだ。「何年働いてこれだけ実績を上げればグリーンカードを」なんていう口約束がなかなか履行されない例は、枚挙に暇がない。

 つまり突き詰めていくと、最初の職場でどんなふうに自分を証明するかを、かなりしたたかに考えることから始めなければならないのである。そして自分を証明するプロセスを通して、自分の「その企業の中での価値」を高め、会社との関係において自らが優位な立場に立つことをまず目指さなければならないのである。そしてそれから「その企業の中での価値」を「市場価値」にまで普遍化してやっと「アメリカで1人で生きていく」ことになるのである。

 それが、冒頭に述べた「人生のデザインにおける戦略性」と「その執行」の本質であり、「粛々と」と書いたのは、それは一朝一夕にできるシンプルな話ではなく、かなり時間がかかる辛抱強いプロセスなのだということを表現したかったからだ。

 以上は「アメリカで生きていく」ことをイメージしたときに最初に持っておくべき情報である。このあたりの「入門」的情報を持ったところで「そんなに面倒くさいの。なら日本企業に勤めるよ。いや日本に帰るほうがずっと割がいいじゃないか」と思う人が日本人には多く、一方、中国人やインド人の多くは「アメリカでやっていくというのはそういうことだよな。当然だ。国に帰るよりも、このルールの中で何とか自分を証明して、ここでやっていこう」と思うわけである。冒頭で「アメリカで1人で生きていく」ことを選ぶ日本人ビジネスマンは極端に少ない、と書いた理由はこのあたりにある。

 このテーマについては、改めてまた本欄で書きたいと思っている。

 本稿に興味を持った方がいれば、是非お勧めしたい本が1冊ある。10年以上前に読んで感銘を受けた「欧米・対決社会でのビジネス」(今北純一著)という本だ。もともとは新潮社から出版されたが、今は現代教養文庫に入っている。今北さんは「ヨーロッパ・ビジネス社会で1人で生きていく」ことを選び、その極意を達意の文章で描く数少ない日本人の1人である。今北さんは、私がずっと長い間尊敬し続け、自分のロールモデルとして想定してきた「人生の大先輩」でもある。

 そして最後にちょっと嬉しいご報告。その今北さんと私が「欧州の真の力強さとは何か」というテーマで対談をしました。今書店に並んでいる「中央公論」7月号に載っています(この「中央公論」7月号は、田中直毅氏の「小泉革命の源流」という素晴らしい論文をはじめ、たいへん充実した内容なので買って損はないはず)。是非ご一読ください。

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