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HPの市場創造戦略 1998年1月1日[コンセンサス]より
シリコンバレー発祥の企業HP HPの最近4・4半期(4 Quarters)の売上高は、413億ドルと、ほぼ5兆円企業である。ちなみに、シリコンバレーでは、企業の売上高を、最近4回の4半期決算を総計した数字で表現する場合が多い。会計年度の売上高の数字を一年間使い続けるのでは、急成長する企業を把握できないためである。パロアルト市のダウンタウン近くに、「シリコンバレー発祥の地」という石碑がある。石碑には、「このガレージは、世界最初のハイテク地域・シリコンバレーの誕生した地である。……このガレージの中で、2人の学生、ヒューレットとパッカードは、1938年に彼らの最初の製品、オーディオ発振器を開発し始めた」と記載されている。コンピュータ及びトランジスタの誕生は、第2次世界大戦後の1946年であるから、それよりもさらに8年前の出来事である。 現在、HPの売上高構成は、図に示す通り、60年前の創業以来の伝統である計測器関係事業が約20%(約1兆円)、約30年前から手がけたコンピュータ・システム関係事業が約41%(約2兆円強)、そして、約15年前から始めたプリンタ関係事業が約39%(約2兆円弱)と、理想的バランスを示している。理想的という意味は、独立した大型事業群が三つ、それぞれ業界のリーダー的地位に占めていることはもちろん、時代の大きな波に正しく乗って、その流れの中で大型事業を創造してきた点である。 特に、改めてこのプリンタ関係事業の数字を眺めて驚くのは、たったの10数年で、2兆円にも上る新事業を、全くのゼロから創造してしまった点である。さらにプリンタ事業というのは、インク、トナー、紙といった消耗品事業が付随し、これが極めて収益性が高いという特徴を持つ「おいしい」事業である。さらに、この消耗品の売上が、インターネット時代に入って、自分で作った情報をプリントアウトするだけでなく、インターネット上の情報をプリントアウトする量の急増により、急激な勢いで伸びている。HPの場合、この消耗品だけで、プリンタ事業全体の約25%を占め、約5,000億円近く売り上げ、笑いが止まらない状況にある。 しかも、インクジェット・プリンタでは45%強、レーザープリンタでは、60%強と、世界市場シェアをほぼ押さえ、HPのプリンタ・ハードウェア自身が、「デファクト・スタンダード」(事実上の標準)と呼ばれる状況にある。HPは、創業時から60年代までの「計測器メーカー」から、「コンピュータ・システム・メーカー」へと70年代から80年代に変身し、今や「プリンタ・メーカー」と呼んでも違和感がないほどの、したたかな変身を続けている。
そして、次の10年を睨んだとき、HPは、プリンタ事業のさらなる発展が、新市場創造によって可能だと考えている。そのターゲットが、約400億ドル(約4兆8,000億円)という巨大な市場規模の写真(フォトグラフィー)市場なのである。
デジタル・フォトグラフィーとデスクトップ・パブリッシング もしも、現在のカメラをデジタルカメラが代替し、現像のプロセスを家庭用カラープリンタが代替し、それを郵便などでやり取りするプロセスをPCとインターネットが代替したらどうなるだろう。誰もがデジタルカメラで写真を撮り、撮ったそばからプリンタで印刷し、その画像をインターネットで親戚に送るようになるだろう。今、写真市場に費やされている支出は、情報機器、ネットワーク接続料、プリンタの消耗品代などに化けることになる。これが「デジタル・フォトグラフィー」の世界である。 現時点では、「デジタル・フォトグラフィー」の世界は、「画質」という「写真において最も大切な価値」を提供できるに到っていない。しかし、HP幹部は、自信を持って次のように言う。 「我々が写真を撮る方法がいずれ全く変わってしまうことは疑う余地がない。唯一、そうなるまでにどれだけ時間がかかるかである。」 HPがこれだけ自信を持っているのは、現在のデジタル・フォトグラフィーをめぐる状況が、10数年前のデスクトップ・パブリッシング(DTP)をめぐる状況に酷似していることを身体で理解しているからに違いない。 私事になるが、1983年、ちょうど今から15年前、私は大学の卒業論文の発表会で、大きな文字が美しくレイアウトされたOHPを使って発表をしたいと考えた。 しかし当時のパソコンでは、コンピュータのハードのマニュアルを読んでフォントが格納されているアドレスを調べ、1文字ずつフォントをビットごとに読み出し、それを拡大するアルゴリズムを自分でプログラミングしなければ、そんなプリントアウトはできなかった。私がこっそりと、そんなプログラムを書いて、美しいOHPを用意して発表会にのぞんだとき、発表内容などよりも、そのOHPはどうやって作ったのかに質問が集中したことをよく覚えている。つまり、当時は、デスクトップ・パブリッシングという市場を生み出すための道具立てが整っていなかったのだ。 しかしその翌年の1984年、アップルが画期的パソコン、マッキントッシュを市場に投入することで事情は一変する。アーキテクチャの斬新さにマシンパワーが追いつかず、本当に使い物になるのはその翌年くらいになったが、ビットマップ・ディスプレーとフォント表現という2つの重要な技術が、プラットフォームとしてビルトインされていた。そして、このマッキントッシュの新性能を使って実現可能となる初めてのデスクトップ・パブリッシング・ソフト「ページ・メーカー」がベンチャー企業・アルダス社から発表された。また、極めて高価ながらも、HPが初期のレーザー・プリンタを出したのも全く同じ時期だった。さらに大切だったのは、やはりベンチャー企業のアドビ社が、ポストスクリプトというページ記述言語標準を提案し、個々の開発行為を一つの大きなうねりにまとめ上げる役割を果たしたことであった。 その結果、1985年から86年にかけて、デスクトップ・パブリッシングという市場が立ち上がり、それ以降、アップルもHPもアドビもアルダスも、市場創造に関与したプレーヤー達はすべて、急成長したのである。アップルは、90年代に入り戦略のつまづきから凋落したが、マッキントッシュという1製品で1兆円企業にまで成長し一世を風靡したし、HPのレーザープリンタ事業は消耗品も含めれば1兆円近くの売上げにまで成長、アドビとアルダスは合併し、現在では約1,000億円の高収益ソフトウェア企業に育っている。
市場創造の条件とHPの市場創造戦略 では、そのことを頭に置きながら、デジタル・フォトグラフィーの現状に目を転じてみよう。 まず、プラットフォームとしては、PCとインターネット。これだけでも十分な上、さらに、これからNC(ネットワーク・コンピュータ)や、WebTVのようなテレビに接続されるボックスが、新プラットフォームとして登場する可能性がある。次に、周辺機器としては、デジタルカメラ、スキャナー、カラープリンタの3つ。多くの日本メーカーを含めた技術開発、市場開発の大競争時代に突入し、競争による技術革新が極めて速く起こる循環に入っている。 そしてアプリケーション。アプリケーション開発は特に米国ベンチャー企業が強いが、たとえば、デジタル・アルバムというアプリケーション(ソフトとサービス両方)が、ピクトラというシリコンバレーのベンチャー企業から商品化され、このアプリケーションを使えば、デジタルカメラで撮った写真画像を、インターネット上のアルバムに貼り付けることで、それを友人や家族と、パスワードなどを使って共有することができる。これ以外にも、写真画像のエディティング(編集)ソフトなども多数登場してきた。 そして最後の標準。ここにHPの新市場創造戦略の根幹を見ることができる。HPは、上記のコンポーネント群の中で、「デスクトップ・パブリッシング市場におけるレーザープリンタ」に相当する、カラープリンタ事業に注力することに加え、新しい画像標準の「FlashPix」の開発に乗り出している。 単独で開発するのではなく、共同開発の強者連合を仕掛けている。まずはソフトウェア標準を作ることにかけては世界一のマイクロソフト、旧写真市場の覇者・コダック、そして新しい発想と人材を供給するベンチャー企業、Live Picture社(昔、アップルのCEOだったジョン・スカリーがCEOをやっている)、そしてプリンタ事業の最大手、HP。 この4社での新標準の共同開発によって、現在世界中の各社がしのぎを削る競争の活力を一つの大きな流れに統合し、そのことによって、新しい「デジタル・フォトグラフィー」市場を創造しようとしているのである。デスクトップ・パブリッシング市場の時と同じく、市場が立ち上がってしまえば、市場創造に関わったすべてのプレーヤーが共に成長できるというわけである。 そしてこの「デジタル・フォトグラフィー」の世界は、写真というもともとある巨大市場を代替するというコンセプトであるから、消費者にとって全く新しい価値を創造するというリスクはない。デジタル技術が現在の写真技術に近づいたとき、必ず代替が起こるという確信のもと、HPは、新市場創造戦略を着々と遂行しているのである。 ■
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