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ナスダック・ジャパン利害相反問題 2000年6月12日[日経ビジネス]より
本誌5月15日号に掲載されたナスダック・ジャパン社長、佐伯達之氏のインタビューは面白かった。米国では誰もが当然のこととして守るルールである利害相反という概念について、日米でこうも解釈が違うものかと驚き、その理由を私は今も考え続けている。 ソフトバンクグループ企業群がナスダック・ジャパンに続々と上場を目指す今、孫正義社長がナスダック・ジャパンに深く関与することの是非がインタビューの焦点であった。 佐伯社長は「黙らっしゃい、ですよ」という表現を使い、ソフトバンクグループ企業の審査が甘くなることなどは「私が社長の間はあり得ない」と強調。また「佐伯氏らを引っ張り込みナスダック・ジャパンを立ち上げる以上、言い出しっぺの孫氏が引くべきではない」という考え方がナスダック・ジャパン関係者の間に根強く、孫氏から「一蓮托生で命懸けで(ナスダック・ジャパンを)作る」という言質を取っていることが明らかになった。
「結果オーライ型」の日本 つまり、佐伯社長及びナスダック・ジャパン関係者は、利害相反の可能性は認めながら、可能性が存在するからという理由だけで孫氏を排除するのではなく、「ナスダック・ジャパンを成功させる」という結果を重視した考え方を取っているということだ。そしてその上で、「利害相反の問題は、仕組みやルールによってではなく、人物(特に佐伯社長と孫氏)の見識によって解いていく」という論理が背後にある。もっと言えば、「清濁併せ呑んだ上で大事を成し遂げる」という「日本的リーダーの理想像」から脈々と流れる「結果オーライ型」思想を貫徹するためには、「仕組みやルール」で厳密に縛ってしまうのはよくないという考え方をも含んでいるように思う。 ところで米国の論理は全く異なる。利害相反が少しでも認められた場合にはその問題が重大で包括的かどうかがまず問われ、そうであればその時点で「利害相反の体現者」は一方の組織から排除される。この時点で「結果オーライ型」思想が入り込む余地はない。
ルール作り第三者に評価させる米国 翻ってナスダック・ジャパン利害相反問題を、その重大さと包括性の解釈に関する水掛け論(孫氏の去就問題のみ)に帰着させるのは、本質的ではあるが実は不毛かもしれない。
むしろ利害相反が軽微で部分的だと仮定した上で、
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