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ネット革命のユーフォリアは終わった 2000年9月11日[日経ビジネス]より
2020年頃から現在を振り返った時、ネット産業黎明期(1994〜2000年)はどのように評価されているだろう。最近そんなことばかりを考えている。 情報技術(IT)革命、ネット革命、e革命。 革命には、旧秩序の破壊と新秩序の構築という2つの要素が必要である。「この破壊と構築は、誰によって、どんな時間差を置いて達成されるのか」という設問を置くことで、現在起きていることの本質を考えてみたい。
ネットバブル崩壊で楽観論に冷水 冒頭の設問に即して言えば、「勃興する新興ネット企業群によって、旧秩序の破壊と新秩序の構築が同時に行われる」というこれまで主流だった仮説に、暗雲が漂いつつあるということだ。 そしてその不安に追い打ちをかけるように、時を同じくして登場したのが米ナップスターである。ナップスターの衝撃の本質は、直撃を受けた音楽産業の狼狽ぶりからも明らかなように、「旧秩序に対する爆発的破壊力を持ちながら、新秩序の提案はあまりにもお粗末」という特質にある。この極端な「バランスの崩れ」を旧勢力は容認できず、著作権侵害訴訟を通しての国家の介入を招かざるを得なかった。 ナップスターほどの旧秩序破壊力を持ったネット企業はこれまでになかったが、この「バランスの崩れ」は、多かれ少なかれ新興ネット企業群にもあてはまる。だとすれば、冒頭の設問に対して、「新興ネット企業群の手によって旧秩序の破壊が著しく進行するが、新秩序の構築は別の勢力の台頭を待たざるを得ず、破壊と構築の間にはかなりの時間差が生ずる」という仮説が十分に提示可能である。 破壊と構築の担い手が別々で、破壊と構築の間にかなりの時間差があるという仮説は、今後のネット革命に混乱が生ずる可能性を示唆している。その上、爆発的破壊力の源泉となったナップスターの分散的構造が、インターネットそのものの分散的構造を想起させるゆえ、ネット革命の本質は破壊に過ぎないのではないかという、漠とした不安が漂い始めているのである。ナップスターに続くグヌーテラを代表とする新勢力には「新秩序の構築」という概念すら存在しない。
「革命的技術」だが「革命」ではない? もちろん極めて大胆なネット戦略と、ベンチャー企業買収や異業種大型提携といった斬新な経営手法を駆使した「企業のかたち」を変えての大勝負となる。しかし米国実力派CEO(最高経営責任者)たちは、それを旧勢力たる大企業がきちんと執行できさえすれば、「インターネットは革命的技術に過ぎず、産業社会の秩序を崩壊させる革命にまでは至らない」という確信を持ち始めたようである。
2020年頃から振り返った米国の現在は、「2000年には、ネット産業黎明期のユーフォリア(根拠なき陶酔感)は終わり、世界観が異なる3つの仮説がせめぎ合うネット革命の第2段階に入った」と評価されるのではないだろうか。そしてその先の歴史がどのように書かれるかは、これからどの世界観のまわりに「真の才能」が集結していくかにかかっているのだと思う。
■ 掲載時のコメント:今後のネット革命は国ごとにかなり違った進展プロセスを見せる、と予測する。その違いは「各国の大企業がどれだけ新しい才能を集め、大胆な経営戦略を執行できるかにかかっている」。
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