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日本企業が持つ「C級性」の魔力
書評『C級さらりーまん講座』

2001年2月12日[日経ビジネス]より

--(注)この書評が日経ビジネスに掲載されたときには『C級さらりーまん講座』の中の紹介作品も転載されていましたが、本Webサイトでは転載していません。--

 2000年11月に出版された最新刊「馬耳東風編」を含めて全7巻。1990年代に書き続けられた「4コマ漫画」1036編と、横にそっと添えられた「1コマ漫画」56編。計4200コマ。私はこの書評を書くために、世紀をまたいで、何度も何度もこの4200コマを読み、米シリコンバレーから日本のことを考えていた。抱腹絶倒、少し哀しく、そして懐かしい気持ちで胸がいっぱいになった。

 最新刊の帯は「この本の中にあなたも居る」。私も同感。だからこそ、この本にはこれからの日本を考える材料がふんだんに含まれている。

 まずは最新刊「馬耳東風編」の「決定」という作品から。

 著者・山科けいすけは、この作品で、「C級さらりーまん」のゴールたる「C級役員」の現在を描く。「社長解任緊急動議を取締役会に提出する」という重要な意思決定を、(もちろん社長抜きで)できるようになった「C級役員」たち。でも誰の責任で緊急動議を出すかが「決定」できない。そこでこんなことになる。少し成長して「社長からの自立」への道を歩み始めた「C級役員」たちに訪れた新しい試練が、ここに暗示されている。
 そして続いて「第3巻」から「権力」という作品、「第6巻」から「社内改革」という作品を。

 この2つの作品は、公開企業においてすら、なぜか「絶対的権力」を持つ「日本の社長」という存在の摩訶不思議を描いて秀逸である。

 ここ数年、コーポレートガバナンス(企業統治)について、日本の会社も形の上では様々な「改革」を行ってきたことにはなっている。でも、ほぼすべての日本の会社で「次期社長は現社長が決める」慣習はそのままだし、「(社長を監督するはずの)取締役会を構成する役員は、その社長によって選任される」という状態も不変だ。これではどうしたって「日本の社長」には「絶対的権力」が付与されてしまう。

考えさせられる人治主義の是非
 日本では、ある会社が「良い会社」になるか「とんでもない会社」になるかは、「社長その人の人物としての徳」に過度に依存する。この「人物で解く」という融通無碍な形をあえて残し、新しい経営構造や新しいルールを作り込む方向に進まないのが日本の現実である。それは、長い間かけて培われてきた日本の知恵なのだろうが、この是非に今こそ思いを馳せなければならないことを、本書は私たちに考えさせてくれる。

 頂点がそういう構造になっているため、「C級部長」は「C級部長」で、「C級課長」は「C級課長」で、自らが取り仕切る小宇宙で、同じような性質の、時にはもっとうんと理不尽な「小さな権力」を行使する。

 本書に描かれる「C級」性の大部分は、会社が「仕事をする場」というだけのシンプルな存在ではなく、「生活の場」さらには「楽しい遊び場」としても機能するゆえに生まれている。

 再び最新刊「馬耳東風編」から「マニア」という作品を。

 日本の会社の中では、毎日こうした楽しい出来事が繰り返されてきた。「C級部長」はこの素晴らしい場面が訪れる時のために、日夜、人知れず手品の腕を磨いてきたのだ。彼は手品の「マニア」なのではない。会社という場で遊ぶ「マニア」であり、プロなのである。部員だってそれは百も承知の上。「部長が手品がお上手なのは…」と額から汗を流す「C級課長」の表情に、隠された歓喜を読み取ってしまうのは、私だけだろうか。公私の区別も曖昧で、仕事よりも時には人間関係が優先される日本の会社での様々な出来事を、著者の鋭い視線は見事にえぐり出している。

 仕事を通して遊ぶのは本当に楽しい。それも、特に毎日顔を合わせる連中との「疑似家族的小宇宙」で、仕事と遊びが一体となり、しかも仕事がうまくいっている時の至福といったら何物にも代え難い。これが戦後日本のサラリーマン社会だったのだ。

楽しい会社の大きな代償
 日本の一流企業というのは、こうした避け難い「C級」性を内包しつつも、「C級」性からの逃げ場も豊富に用意し、「コミュニティーとしての会社」としての理想を、世界でも類まれなレベルで達成してしまっている存在だ。

 私はシリコンバレーに住んで、米国のベンチャーをつぶさに見る機会も多いし、米国大企業に勤めていたこともあるが、米国の会社とは「仕事をする場」以上でも以下でもなく、株主志向経営とスピード経営の徹底でますますその傾向が強まっている。効率はいいが、とても寂しい。仕事以外のイベントなども形ばかりに用意されるが、組織自身を「疑似家族的小宇宙」に見立てて「仕事と遊びを常時一体化して生きる」という「日本の会社の楽しさ」を一度でも経験したことのある者からすれば、物足りないこと甚だしい。

 しかし一方で、日本の会社は、この楽しさを維持するためにあまりにも大きな代償を払っているのだろう。
 『C級さらりーまん講座』の1話1話を、「とんでもないなぁ」と思いつつも、懐かしく感じ、ついには、インドから戻って「サラリーマンが一番だ」と悟りを開く若いサラリーマン(第4巻第2章の挿絵)に、どこかで共感してしまうのも真実。正直に白状すれば、これが私の心の中にある「日本的経営とアメリカンスタンダード経営の相克」の本質なのである。

掲載時のコメント:漫画『C級さらりーまん講座』(山科けいすけ著、小学館)は日本企業の情けなさと楽しさを見事に活写する。本作の愛読者で本誌「視点」の執筆者である梅田望夫氏はそこに日本企業の「疑似家族的小宇宙」としての性格を読み取る。アメリカンスタンダード経営の本質を伝える評者にして、ここに描かれる日本企業の「C級性」は懐かしくも否定しきれない魔力を持つ。

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