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2001年、IT産業「試練の調整」へ 2001年7月23日[日経ビジネス]より
バブルこそ弾けたが、ITの可能性が指し示す方向にある「新しい秩序」の構築スピードを、再び私たちのコントロール下に置けるようになったという意味で、「人間の知恵」が働いたのだと実感する。振り返れば、99年から2000年初頭にピークを迎えた「加速されたスピード感の中で新しい秩序を構築する競争」の苛烈さに、私たちは耐えられなかったのである。
大きかった「負の遺産」 「負の遺産」の大きさが明らかになるにつれ、IT市場「縮小の連鎖」が世界規模で発生することになった(3)。 2000年4月のバブル崩壊の反省から、新規株式公開(IPO)の窓は閉じた。「可能性だけで株式公開できる」から「株式公開前に利益を出すべし」へのルールの転換がちょうどこのIT失速期と重なったため、かなり有望な未上場ベンチャー群が今も苦境の中であえいでいる(4)。そして、大企業だけが「IT化投資を牽引する最後のよりどころ」(5)というところがつらい。「試練の調整」にはかなりの時間を要する公算が強くなってきた。
米IT産業の覇権争いは一段落 日本に目を転ずれば、日本勢で唯一「攻め」の経営を志向してきたNTTドコモ(9)も、こうした世界情勢激変の中で、これからは「攻め」一辺倒のグローバル戦略は取りきれまい。 また「大企業のIT化がしばらくは経済を牽引せざるを得ない」というIT革命の大きな流れの中、商法改正案要綱の中間試案が決定された意義は大きい(10)。「企業統治の透明性」こそが「経営陣による合理性追求」(つまりは企業収益向上への圧力)を促し、日本企業のIT化を推進する大きなパワーとなるに違いないからである。 ■
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