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先行する米国、大きく遅れる日本 1999年8月23日[日経ビジネス]より
コンピューター産業の世界では、「その時代の底流にあるコンピューティング・アーキテクチャーがどんな姿をしているか」が決定的な意味を持つ。それによって産業構造が定まり、覇者が決まる。産業界の覇者がIBMからウィンテルに移ったのは、集中処理から分散処理へアーキテクチャーがシフトしたからだった。 そして今米国を震源に、再びアーキテクチャーレベルでの激変が起こった。約50年のコンピューター産業史で2度目の大事件である。 インターネット新時代の底流にあるアーキテクチャーを右図に示す。これを簡単に言えば、「集中処理型の巨大ウェブサイトと分散化された無数の軽装備端末がインターネットを介して接続される構造」である。 インターネット新時代の初期、産業界の誰もが、インターネットのインパクトをパソコン時代のアーキテクチャーを前提にして理解しようとした。 たとえば「自宅にパソコン1台持ってさえいれば、世界中の誰もが自由に情報発信ができる」というビジョンは、パソコン時代の延長線上の「分散化」という思想を体現していた。 しかし実際には、自宅のパソコンから発信された情報は、限られた人々にしか届かないことがはっきりし、「世界中に分散した情報と世界中の人々とを結ぶ巨大ポータル」(ヤフーなど)という全く新しい存在が出現した。 eコマースの世界も同じだ。ウェブ上に小さな個人商店を開いたって誰もやってこない。生まれたのは、カテゴリーごとに世界市場を対象とする巨大eコマース業者(アマゾン・ドット・コム等)であった。 ポータルにしてもeコマースにしても、インターネット経済が収穫逓増の法則が働く世界であることが認識され、「カテゴリーごとに寡占、勝者総取り」ゲームにおける競争が激化し、ウェブサイトは巨大化・複雑化の一途をたどるようになった。
最悪シナリオも絵空事ではない 本連載の前回「米のシステムダウン、大いなる挑戦の証」、イーベイのシステムダウンを題材に、米国で急ピッチで進む「e革命インフラ」の構築はコンピューター産業史始まって以来の挑戦で、そこに日本企業の姿が見えないことに危機感を表明した。「日本のコンピューター産業は、1960年代、70年代に持ったと同様の危機感と情熱を今持たなければ、新時代を生き延びることはできない」と書いた。それはイーベイが、新しいアーキテクチャー図における「複雑化・巨大化の一途をたどるウェブサイト」を代表する存在だったからである。 残念ながら日本にはまだその需要が生まれていない。ソリューションという言葉は花盛りだが、日本市場にはこの「新しいアーキテクチャー」を含んだ斬新で巨大なソリューション需要が存在しない。現在の需要のほぼすべてが、パソコン時代後期のクライアント・サーバー・アーキテクチャーのままなのだ。日本企業がいかに優秀なエンジニアを抱えていても、需要が存在しなければ経験が積めない。この問題が深刻なのである。 インターネットの世界ではウェブサイトが物理的にどこにあっても関係ない。つまり近い将来「日本のe革命インフラ」が本気で構築されようとした時、巨大ウェブサイトの多くが米国に置かれ、米国企業によって構築・運営されるというのが日本コンピューター産業にとっての最悪シナリオだ。先進日本ユーザーや米国ネット企業の日本市場向けサイトの中には、ウェブを米国に置く企業もあるから、この懸念は決して絵空事ではないのである。 ■
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