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ネット産業、利益実現かバブル崩壊か

2000年3月6日[日経パソコン]より

 2000年・米国ネット産業のキーワードは「利益」である。そろそろ力強い利益を上げるネット企業が出てきてくれないと、米国ネットバブルは弾けてしまう。もうそういう時期に差し掛かっているのだと思う。

 1995年から97年まで、ネット産業の勃興期は「可能性」の時代であった。Webサイトを充実させ、ビジター数を増やし、ただひたすら「可能性」を広げていれば、後で必ず何かいいことがあると起業家は信じた。当時のムードは「可能性を信ずる者たち」対「可能性に懐疑的な者たち」の対峙だった。

 そして97年末から98年初頭にかけて、「可能性の充満したWebサイト」では何やらモノが飛ぶように売れるらしいという噂が立った。ある種の商品をネット上で広告したところ、不気味なくらいの勢いでその商品がネット上で売れてしまうといった事件が続けていくつか起きた。その頃から、広告収入とeコマース収入という確実な「売り上げ」が見込めるようになり、産業全体に漂っていた漠然とした不安が払拭されて、ネット産業は新たなステージに入ったのだった。

 つまり、97年末に「可能性」の時代が終わり、98年から「売り上げ」の時代に突入したのである。「売り上げ」の時代に入ってからは、「可能性に懐疑的」では生きていけないことがはっきりし、大企業も含めて誰もがネット事業に参入することになり、過当競争状況が生まれることになった。過当競争が起これば、価格競争やサービス競争が激化し、潜在利益の食い合いになる。「売り上げが上がれば利益もついてくるだろう」と高をくくっているわけにはいかなくなってしまったのだ。

 それが現在のネット産業の姿である。

 ところで95年から97年、「可能性さえ巨大ならば、売り上げがほとんどなくて赤字でも、株式公開して資金調達する」というルールがネット産業に定着した。「可能性を信ずる投資家たち」が十分に存在したために、歴史上初めてといってもよいほどの規模で、大きなリスクを内包した企業群が公開企業となった。

 投資銀行や証券会社といった金融機関は、公開させたネット企業の株価を維持するために、可能性と株価(高収益を生み出した時点での将来価値)を結び付ける方程式を考案すべく躍起になった。結果として「将来価値を先取りして先に高株価がつく」という異例の常識が根付き、98年以降「売り上げ」の時代に突入したことも追い風となって、ネット株は上昇の一途をたどり現在に至っている。これがネットバブル発生の物語である。

アマゾンも「利益追求」宣言
 2月3日、アマゾン・ドット・コムは、99年10-12月期決算の正確な数字を発表した。売上高は6億7600万ドル(前年同期の2億5300万ドルから約2.7倍)と急増したが、赤字額も1億8500万ドル(前年同期の2200万ドルから約8.4倍)と一気に拡大した。

 しかし、驚くべきことに、アマゾン首脳の「2000年は、間違いなく利益追求の年にする」という言葉に市場は好反応を示し、アマゾン株は1日で16%上昇した。

 2000年は果たして、アマゾンが市場との約束通り「利益」を創出し、他のネット企業の中にも次々と力強い「利益」を計上する企業が続出する「利益」の時代になるのだろうか。2000年は「利益」をキーワードに、米国ネット産業やネットバブルを見つめるべきだと思う。

 さて、ひるがえって日本のネット産業の状況は、まだ「可能性」の時代の後期にある。東証マザーズ、ナスダック・ジャパン創設によって、真のリスクマネーを市場から調達するメカニズムが日本にも初めて生まれた。起業家たちが沸き立つのも無理はない。

 しかし、日本の起業家たち(本誌の潜在広告主たち)が忘れてならないのは、「可能性」の時代から、まもなく訪れるであろう「売り上げ」の時代へ、そしてかなり先の「利益」の時代へと続く長い長い道のりを、市場から資金調達したという重い責任を一身に感じながら、全力で走り続けていく覚悟である。

 この一点が揺らぐならば、日本のネット産業は迷走を始めるに違いない。

掲載時のコメント:世界の片隅にあって輝いていたシリコンバレーが、世界経済のメジャーストリームに躍り出ようとしている。これからシリコンバレーの明と暗の両方がそれぞれぐっとスケールアップされていくのだろう。

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