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足掛け8年の試行錯誤から学ぶこと

2001年5月7日[日経パソコン]より

 1994年を端緒とする米国インターネット新時代。その始まりはつい昨日のようにも思えるが、もう既に、足掛け8年の歳月が過ぎていることも忘れてはならない。ドッグイヤー(7倍速)は大げさでも、昔のスピード感の4倍ないし5倍の速度で疾走した時代(資金もふんだんに注ぎ込まれた)であることに思いを馳せれば、この足掛け8年の間に、昔の感覚でいう30〜40年分の試行錯誤が行なわれたことは間違いない。広告収入をあてにした無料ISPなど「そんな事業モデルは成立し得ない」と既に結論の出てしまった仮説もかなりある。

足掛け8年を総括すると
 この「足掛け8年」は、2年ずつ4期に分けて総括するのが分かりやすい。仮にスピード感を5倍速とすれば、10年単位のまとまりなのだと感覚的にとらえてもいい。

第1期(94〜95年):インターネットの巨大な可能性だけが感じられた時代。まず飛び出したのはネットスケープに代表されるベンチャー企業群であった。95年8月のネットスケープ株式公開が象徴的である。

第2期(96〜97年):ベンチャー企業群の勢いの強さとスピード感に、マイクロソフトをはじめとするハイテク大企業が強い危機感を持ち、なりふり構わずベンチャーとの競争に邁進していった時代(例、ハイテク大企業によるベンチャー買収戦略の常識化)。ただ、まだまだ可能性だけが先行しているなぁという「健全な不安感」を誰もが持ち合わせていた。

第3期(98〜99年):ネット上に実需が生まれ(例、eクリスマス)、いわゆる「ドットコム企業」群が大量に登場するとともに、存在を脅かされた一般大企業に真の危機感が生まれ、米国社会全体がIT化へと突き進んでいった時代。「健全な不安」が払拭された代わりに生まれたユーフォリア(根拠なき陶酔感)が異常な株高をもたらす原因になった。

第4期(2000〜2001年):ネットバブルが崩壊し、それが米国経済失速につながっていく時代。まさに私たちは今、この時代を生きている。

 米国がどこよりも先にフロンティア開拓の経験を積んでくれたおかげで、私たちはその試行錯誤から様々なことを学ぶことができる。このアドバンテージをどう活かせるかが日本にとって今とても重要だと思う。この間に米国で何が起きたのか、何が本質的で、何が証明され、何が証明されなかったのかを、きちんと腑分けして理解することが何よりも大切だ。

 この「足掛け8年」の試行錯誤の結果が、「バブル崩壊から経済失速」というネガティブなものとなっている最大の原因は、第3期(98〜99年)における「ドットコム対一般大企業」の競争が激化したときに、「競争には敗者が存在する」ということが忘れられ、すべての企業の株価が急騰していったことにある。

 そしてさらに、「ドットコム対一般大企業」の競争でドットコム企業群の多くが敗れ去ってしまったという厳然たる事実は、ネット産業の創出はそう簡単ではなかったという教訓を残した。米国と日本の事業環境はずいぶん異なるから一概には言えないが、日本でもこれから「ネット産業の創出はそう容易ではない」という認識が高まってくることだろう。

「行動した人」を排斥するな
 しかしここでどうしても主張しておきたいのは、大企業内、ベンチャー企業を問わず、日本でネット産業創出の予感に突き動かされてここ数年「行動してきた人達」を、「何もしなかった人達」が責めるという構図だけは避けなければならないということだ。

「踊る阿呆に見る阿呆」という阿波踊りの表現を借りれば、「見ていた阿呆」が「踊った阿呆」を排斥するという事態だけは絶対に引き起こしてはならない。失敗学やら敗者復活といった言葉が最近の日本ではブームになっているそうだが、その心が本当に社会に根付いてきたかどうかがこれから本当に試される。

 インターネット新時代は決して第4期で終わるのではなく、これまでの試行錯誤をテコにこれから本当の正念場を迎える。そのときに「見る阿呆」ばかりでは何も始まらないことを、私たちは頭に刻み込んでおかなければならないのである。

掲載時のコメント:ネット産業創出がそう簡単なものでないことがわかってきた今、私たちは冷静に「次の一手」を考えなければならない。まず避けなければならないこと、それを何とか伝えたいという気持ちから、この文章を書いた。

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