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パソコン産業の変質が始まった
1998年11月2日[日経パソコン]より
西暦ならぬインターネット暦というものをもし作るとすれば、1994年を元年とすべきだろう。インターネットの技術的発祥はもっと古いが、産業という意味合いで見たとき、すべてが始まったのが1994年だったからだ。 インターネット時代の幕を開くことになった画期的ソフトウエア「モザイク」(ブラウザー)が、インターネット上でリリースされたのが1993年後半。ここまでが紀元前史である。 インターネット暦元年(94年)初頭、「モザイク」開発チームのリーダー、マーク・アンドリーセンが、ジム・クラークの招きでシリコンバレーにやって来る。新時代の到来を予見していたジム・クラークは、シリコン・グラフィックス会長を退職したばかりで、何か新しい大型事業を起こそうと構想を練っているところだった。意気投合した二人は、94年4月にネットスケープ社を設立。94年11月、「ナビゲーター」がリリースされた。 インターネット暦2年(95年)、この年からインターネット・ゴールドラッシュとも言うべき起業ブームが始まった。ヤフー、アマゾン・ドット・コムをはじめ、実に多くのインターネットベンチャーがこの年に生まれた。私のシリコンバレーの友人たちが、「居ても立ってもいられない」と会社を創りだしたのもこの年だった。 インターネット暦3年(96年)から4年(97年)にかけて、インターネットを軽視し後れを取っていたマイクロソフトが、なりふりかまわず追撃してきた。有望なベンチャー企業を次から次へと買収し、技術、新製品、人材を獲得し、ブラウザーのシェアも一気に挽回する。 そして今年、インターネット暦5年(98年)はどんな年だったのだろうか。
パソコンはインターネットの脇役に インターネット暦5年(98年)は「インターネットの影響で、パソコン産業の変質が始まった年」として記憶されるに違いない。これが、日々続けるこんな作業を通して生まれつつある私の視点である。 パソコンという製品は、生まれてから約20年間、「パソコン上のアプリケーションソフトの可能性」が鍵を握る商品であり続けてきた。だから「アプリケーションソフトが豊富に揃う可能性」を持つOSが顧客に選ばれ、「将来使うかもしれないアプリケーションソフトが動く可能性」を残した比較的性能の高い機種が売れ続けてきた。 その結果、ウィンテル支配という独占形態の上で、「売れ筋商品の価格帯はあまり下がらず、同じ価格帯の製品の性能が飛躍的に向上する」ことが続き、パソコンメーカーの収益性もそこそこ保たれるという産業構造が生まれたのである。 今年は、この流れが大きく変わった年だ。「パソコン上のアプリケーションソフトの可能性」よりも「インターネット上でのコンテンツやサービスの可能性」の方が大切だから、「パソコンはインターネットアクセスをはじめとする必要最小限の機能を持っていれば拡張性があまりなくてもよい」と考える顧客層が激増し、売れ筋パソコンの価格帯がぐっと下がってしまったのだ。パソコンメーカー各社の収益性悪化も、アップル起死回生のヒット商品「iMac」(1299ドル)も、激化する低コスト・マイクロプロセッサ競争も、こんな文脈で考えれば納得できる。
インターネット暦元年から昨年まで、インターネットとパソコンは相互に好影響を与えつつ市場を拡大してきた。しかし、これからは違う。インターネットとパソコンの「無条件の蜜月時代」は終焉し、パソコンは「主役であるインターネットとの関係性をより強く意識した脇役的製品」に変質していかざるを得ないのである。
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