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成長を決めるのは個人の才能
プロ選手並の超高額報酬も

1997年11月1日[日経PC21]より

経営もプロスポーツや映画と同じ。競争に勝つ決め手になるのは「個人の才能」だ−経営者スター主義が米国企業に広がる。

 経営危機に陥っているアップルコンピュータのギルバート・アメリオ会長兼CEO(最高経営責任者)が7月10日に退任した。以来、創業者でもあるスティーブ・ジョブズがアップルの実権を握った。そのジョブズが、8月6日にボストンで開かれるマックワールド・エキスポでキーノート・スピーチを行うと聞いて、「ジョブズは何を発表するのだろう。自らのCEO就任か、超大物CEOの招聘か、自社売却か、大型提携か、何か大きなことを発表しなければ、誰も納得しないのではないか」

 シリコンバレーの誰もが、そう考えていた。

 スピーチの1週間前には、ジョブズがついにCEOに復帰するという誤報が流れたり、ジョブズがイーストマン・コダックのCEO、ジョージ・フィッシャーをアップル社CEOにとずっと口説いていたが、とうとう断念したという報道がなされたりした。

 そして結末は、大きく報じられた通り、マイクロソフトとの資本・技術提携であった。この大型提携が、ジョブズとビル・ゲイツの間で話し合われ、決定されたことは想像に難くない。またオラクル社CEOのラリー・エリソンのアップル社取締役会メンバー入りも同時に発表された。アップルをめぐる経営危機が回避されたのではないにもかかわらず、株式市場はこうした大物たちの関与を好感し、アップルの株価は急騰した。

 アメリオだ、ジョブズだ、ゲイツだ、エリソンだ−−シリコンバレーにおける個人名の洪水は、日本の産業界では全く考えられないことだろう。むしろ感覚的には、プロ野球のファンが、赤提灯で、長島や野村の采配や、清原の不振や、野茂や伊良部の活躍を話題にしているのと近いのかもしれない。

 私がシリコンバレーに活動の拠点を移して約3年が経過したが、最近になって一つはっきりとわかったことがある。わかってしまうと、日本人の私には少し悄然としてしまう感じのことなのだが、「ハイテク・ビジネスにおける『個人の才能』の差は、プロスポーツやショウビジネスにおけるそれとほぼ同じくらい大きい」という信仰にも近い感覚が、シリコンバレー経営の中枢に存在するという事実である。

 シリコンバレーで何かが始まる時、そこには必ず個人名がある。

 94年4月、ジム・クラークがネットスケープを創業したとき、そこにはイリノイ大学でモザイクを開発したマーク・アンドリーセンという才能溢れる若者がいた。95年1月、同じくネットスケープがCEOに招聘したジム・バークスデールのもとには、マイクロソフトのCOO(最高執行責任者)にならないかというオファーが同時に来ていたという

 96年9月、シスコ・システムズが、出来たばかりのグラナイトというベンチャー企業を約2億ドル(240億円)で買収し話題を呼んだ。グラナイトの創業者アンディ・ベクトルシャイム(サン・マイクロシステムズの創業者の一人)の才能と、彼のまわりに集まった人材を買ったのだと、シスコの経営陣は何のてらいもなく語る。

 そして、こんな風に固有名詞で語られる個人の場合、その「才能の希少性」ゆえに、日本円で換算すれば、最低でも数億円、場合によっては数10億円、数100億円規模の成功報酬が約束される。

 これも普通の産業界の常識的感覚からいくと理解しにくいことだが、プロスポーツやショウビジネスの世界と同じだと思えば、話は極めてわかりやすい。

 まだメジャー・リーグの実績がない伊良部投手に対して、ニューヨーク・ヤンキースは、4年間で総額1200万ドル(約14億5000万円)という契約をした。現在の球界ナンバーワン投手、ブレーブスのマダックス投手の場合、5年間で総額5750万ドル(約69億円)という契約を締結したばかりだ。コンテンツの世界に目を転じても、アメリカで最も人気のあるテレビ番組シリーズの場合、プロデューサー、俳優、作家などは皆、一話あたり数1000万円で局と契約しているという。

 プロスポーツやショウビジネスは、「個人の才能」によって結果のすべてが左右されるものだと認知された世界であり、「才能」の獲得をめぐる競争が存在し、市場原理が導入されているために、このような報酬体系が成立してきた。シリコンバレーや米国ハイテク産業は、まさしくこれと全く同じ原理原則で走り始めたと言っていいだろう。その頂点に立つ、ジョブズやゲイツやエリソンが、プロ野球やハリウッドのスーパースターと同じような感覚で論じられるのは、むしろ当然のことなのである。

 インターネット新時代の到来と共に、シリコンバレーは異常なまでの活況を呈している。目の前に広がる膨大な可能性空間に向けて、7000社を越えるエレクトロニクス、ソフトウエア企業が凌ぎを削っている。地価は高騰し、ハイウエーの通勤ラッシュも激しくなった。

 シリコンバレーが活況を呈する理由は、従来からのベンチャーキャピタル投資の充実に加え、マイクロソフト、シスコ・システムズといった大企業が質の良いベンチャー企業を高額で買収する動きが急だからである。

 マイクロソフトは96年に約8億ドル(960億円)を投入して、ベンチャー企業20社を買収または資本参加した。今年に入ってのWebTV買収はまだ記憶に新しい。シスコ・システムズは93年末から96年末にかけて14社を買収、9社に資本参加、今年も変わらぬペースで買収を続けている。そしてその底流に、「才能至上主義」の思想が流れている。

 余談になるが、私は今年の5月に独立して自分の会社を持ち、スタンフォード大学の構内に小さな事務所を構えた。この事務所の一つ前のテナントは、VXtremeというインターネット上でのビデオ配信技術を持つベンチャー企業だった。スタンフォード大学のグプタ準教授とスタンフォード大学の学生たちが創業したという。急成長で手狭となり、彼らがもっと広いオフィスに移るため、今私が使っている事務所のスペースが空いた。

 そのVxtremeが、8月初旬、突然マイクロソフトに買収された。従業員約90名のこの会社の推定買収金額は約7500万ドル(90億円)である。社員1人当たりで割ると、日本円でちょうど1億円という見当になる。

 有望ベンチャー企業の買収を特に次々と仕掛けるのは、マイクロソフト、シスコ・システムズの2社だが、「我々は最高の人材を買っているのだ」と両社の経営トップは口を揃える。

 シスコ・システムズのCEO、ジョン・チェンバースは、買収対象ベンチャー企業の社員1人あたりの買収額に、最低でも50万ドル(約6000万円)、最高で200万ドル(約2億4000万円)は覚悟している、それだけの価値があるのだと言う。だから買収した会社の社員が辞めてしまったら、買収には何の価値もないのだとまで言い切り、買収先の社員の処遇を経営の最優先課題に置く。そして、絶対に手放したくない最も優秀な人材に対しては、買収後に特別なオファーが、金銭面、ポジション面の両方から出される。

 ハイテク企業が必要とする人材は、大きく分類すると二つに分かれる。一つが経営陣である。CEO、CFO(最高財務責任者)、CTO(最高技術責任者)、販売・マーケティング担当副社長、エンジニアリング担当副社長らから構成される経営陣を、こちらでは「マネジメント・チーム」と呼ぶ。強い「マネジメント・チーム」を構成するために、ヘッドハンターが関与し、経営者の引き抜き合戦が盛んである。そんなヘッドハンター需要が高まっているため、「ヘッドハンター・ハンター」が必要だ、などという冗談がよくささやかれる昨今である。

 もう一つが、膨大な数の優秀な若者たち。プログラマーから企画担当者から、あらゆるタイプの優秀な人材のプールである。ビル・ゲイツが好んで使う言葉を借りれば「スーパースマート」集団ということになる。

 たとえば、約100人のベンチャー企業を買収したとすれば、そのトップ5〜10人が、「マネジメント・チーム」の一部、またはその予備軍に加えられ、大多数の90〜95人が、「スーパースマート集団」に加わり、自然淘汰の競争を行って、本当に優れた才能だけが長期的に生き残っていく仕組みである。ただ、よほどうまくマネジメントしないと、優れた才能は外部のベンチャーキャピタルの資金を得て独立して起業してしまうから厄介なのである。

 マネジメント・チームに求められる資質は、「勝つ」ということに強く執着し、「勝つ」ために必要なことなら何でもやり遂げてしまう執行能力である。とにかく彼らはよく働く。

 米国ハイテク産業の頂点に立つビル・ゲイツやラリー・エリソンやジム・バークスデールのことを、アメリカ人たちは、ため息まじりに、「スーパー・コンペティティブ(異常な程に競争心旺盛)」と言うが、業界をリードする彼らの持つ人間的資質が、現在の「才能至上主義」に拍車をかけていると言えるのであろう。

 シリコンバレーを中心とした米国ハイテク産業の現実は、プロスポーツやショウビジネスでのみ通用していた苛烈なまでの「才能至上主義」、「エリート至上主義」が、ごく普通のビジネス社会に初めて侵食しつつある状況なのだと、私は思う。

 その結果、「個人」という単位で見れば、国籍を問わず、優秀な若者たちには大きな可能性とチャンスが広がり始めた。特にシリコンバレーは移民に極めてオープンな土地でもあり、中国、台湾、インド、イスラエル、南アフリカなどのプログラマーが急増している。人材獲得の対象がまさにグローバル化してきたのである。

 シリコンバレーを含めた米国ハイテク産業に対して、国という単位で見た時に、規模の大きさも含めて、唯一競争できているのは日本のハイテク産業だけである。

 しかし皮肉なことに、日本企業の経営原理は、「個人と組織の関係」において、米国ハイテク産業が向かおうとしている方向の対極にある。「個人」の論理よりも「組織」の論理が優先される「匿名性の高い」経営だからである。

 そして対極にあるからこそ、「組織」の力が物を言う、たとえば液晶ディスプレイ、電池、半導体メモリといった、投資集約型エレクトロニクス部品事業は、日本企業の独壇場となっている。

 「人材」に対する価値観がこれほど違う日米の企業群が、同じ土俵の上で協調しながら競争しているところに、ハイテク産業の経営の難しさがある。シリコンバレー型才能至上主義と日本企業の経営スタイルが「水と油」の関係にあることは明らかである。ただ少なくとも言えることは、日本企業はもっと一人ひとりの能力に目を向け、社内に眠っている「個人の才能」を発掘して開花させることに、もう少し真剣になったらどうか、ということである。

 洪水とまではいかなくても、日本のハイテク産業も「個人名」入りで語られるようになる時、日米の競争の構図はもう少し面白いものに変わっているに違いない。

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