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シリコンバレーは価値観変え日本をも否応なく動かす
1999年11月1日[日経PC21]より インターネットという名の新しいゴールドラッシュが進行している。シリコンバレーの浮き足立った雰囲気はこれまでにないほどで、その動向は次期大統領選にも影響すると言われるほど。同時に、日本にもシリコンバレー的世界を体現する人が出てきた。 1849年から数えてちょうど150年、それが今年、1999年である。 サンフランシスコのフットボール・チームの名が49ers(フォーティナイナーズ)なのは、一八四九年、北カリフォルニアのゴールドラッシュに殺到した人々の呼称に由来している。 東京都とほぼ同じ大きさのシリコンバレーは、150年前のゴールドラッシュ地域にすっぽりと入ってしまう。そしてここシリコンバレーで、インターネットという名の新しいゴールドラッシュが、今進行中だ。 数年前から、インターネット産業をゴールドラッシュになぞらえた議論は確かにあったのだが、私の皮膚感覚からすると、ここまで人々が浮き足立つ感じは、今年までなかったように思う。かなり堅実な考え方の持ち主だったシリコンバレーの友人達も、ついに動きはじめた。「Why not?」(もうノーを言う理由なんかないもんね) ベンチャー企業を起こしたり、ベンチャー企業に身を投ずることに、何のためらいもなくなったのである。
インターネット上の連載「船橋洋一の世界ブリーフィング」で取り上げられる(連載473、週刊朝日1999年8月6日号「シリコンバレーを制するものがホワイトハウスを制す」)ほど、シリコンバレーはメジャーになってきた。 世界政治・世界経済というマクロな視点から、シリコンバレーの意味を、船橋氏はこう分析する。 シリコンバレーが「世界の片隅のフロンティア」から「アメリカ政治や世界経済を牽引する存在」に変わろうとするとき、ミクロに見たシリコンバレーは150年ぶりのゴールドラッシュの興奮に包まれている。 ところで、私が二年半前にシリコンバレーで起業した小さな事業(経営コンサルティング会社)も軌道に乗り、多忙を極めはじめたため、編集部にお願いして、本連載をしばらく休載させていただくことになった。 今回は「とりあえずの最終回」として、私がこの連載で繰り返し取り上げてきたテーマを総括し、「シリコンバレーから見た日本の変化」についても考えてみたいと思う。 本連載の第一回(97年11月号)で、スティーブ・ジョブズがアップルの実権を握り、ビル・ゲイツとの電話でマイクロソフトとの戦略提携を迅速に決定したことを題材に次のように書いた。 『「ハイテク・ビジネスにおける個人の才能の差は、プロスポーツやショウビジネスにおけるそれとほぼ同じくらい大きい」という信仰にも近い感覚が、シリコンバレー経営の中枢に存在する。シリコンバレーで何かが始まる時、そこには必ず個人名がある。〈中略〉 そして固有名詞で語られる個人の場合、その「才能の希少性」ゆえに、日本円で換算すれば、最低でも数億円、場合によっては数十億円、数百億円規模の成功報酬が約束される』 私の専門は、日本の大手ハイテク企業(特に情報技術)に対する戦略コンサルティングである。シリコンバレーを含めた米国ハイテク産業に対して、国という単位で見たときに、規模の面からも技術の幅という面からも、唯一競争できているのは世界を見渡しても日本だけだ。 特に情報技術産業というのは、きちんと教育を受けた優秀な人材が多数いなければ成立しない。ベンチャーが生まれる仕組みがいくらできても、そういう人材がいなければ、ローテク・ベンチャーは栄えても、ハイテク・ベンチャーは生まれない。 では日本のどこにそういう人材がいるのか。大手ハイテク企業の中ではないか。しかも彼らはなかなか辞めない。だからこそ大手ハイテク企業は、日本に情報技術産業を残すためにも、何とか経営改革を進めなければならない。
思想というほど大げさなものではないが、私が日本企業を顧客とした経営コンサルティング事業をずっと続けているのは、こんな理由からだ。そんなことも背景に、連載第一回の原稿は次のように結んだ。 そしてそれから2年、残念ながら日本の大手ハイテク企業に「人材」に対する考え方という面での大きな変化は見られない。しかしと言うべきか、だからこそと言うべきか、日本でもインターネット新時代を担うべき「希少な才能」が、ハイテク・ベンチャーに音を立てて流れ込んでいく予感を、私は感じ始めている。日本にもシリコンバレーと同じような気分が充満してきたからなのであろう。 シリコンバレーの気分とは、多くの若い人々が「居ても立ってもいられない」と感じて何かを始めることである。こんな気分になるには二つの条件がある。 第一が「時代の大きな流れ」である。10年に一度のことなのか100年に一度のことなのか、それは後世の歴史家の判断に委ねるとしても、インターネット革命のインパクトを軽視する人はもう誰もいないだろう。 第二が、強烈な自信を持つ一握りの起業家タイプではない普通の誰もが「俺にもできるかもしれない。いや絶対にできるはずだ」と感じられる環境である。ギラギラとした野心のあまりない天才タイプの技術者や、元気のいい普通の人々がベンチャーに行く流れができないと、ハイテク・ベンチャーは大事を為し得ないからだ。 逆に言えば、そして少し刺激的な表現を許してもらうとすれば、体制側(政府・官庁・経済団体・大企業経営者・新聞社)の優秀な人たちが、「どうしてあの程度の人間が、大した努力もせずに、若くして成功し、莫大な富を得てしまうのか。そんな社会はおかしい。許せない。長続きするわけがない」と直感するような環境と言い換えてもいい。「一歩ずつ着実に長い期間をかけて作り上げてきた経歴や実績」や「総合的な能力や人格や教養」ではなく「無理を承知で既成概念の打破に邁進するバイタリティ」や「瞬間風速的でもいいから一芸の才能」や「正しい時に正しい場所に居た幸運」こそが「成功の要因」である世界。「コツコツと一生意義のある仕事をし続ける」価値観ではなく「生涯一度のチャンスを掴んで一生遊んで暮らせるだけの富を築く」価値観の世界。 シリコンバレーだって、アメリカの体制側からは、ずっとそんな風に見られてきた特殊な存在だったのだ。 しかし「社会に対するインパクトが限定的」な半導体、パソコン産業から、対象が「社会へのインパクトが限定的でなく巨大な」インターネットの時代に移ったことから、「シリコンバレーを制するものがホワイトハウスを制す」(冒頭の船橋氏の論文)ところまでメジャーになってしまったのである。 そしてそのとき、アメリカが「インターネットとシリコンバレーを西部開拓史にダブらせて」、「新たな神話」を見ることができるのは、アメリカが「フロンティア国家」という成り立ちを存在意義として持っているからだ。 しかし今はグローバリティの時代。この気分が日本を含めた他国に浸透してきたとき、アメリカ以外の国で何が起こるのか。それがこれからの「日本でのインターネット」を考えていく上で最も面白いテーマなのだと思う。 既に、日本にもシリコンバレー的世界を体現している人物が居る。ソフトバンクの孫正義社長だ。「複数の日本企業の間でインターネット事業の合弁構想が何かあったとするでしょう。日本の大手企業経営者の本音は、孫さんだけは御免被りたい、というものなんですよ」 日本のある官庁関係者はこんな裏話を披露する。体制側の苦渋は明らかである。 ソフトバンクのここ数年の軌跡を簡単に概観してみよう(表)。
ソフトバンクの軌跡
日本法人の経営が軌道に乗った時点で、その日本法人を日本の株式市場に上場する。それと競合する日本のベンチャー企業があれば、競争して叩き潰すのではなく、早い時期にその事業を始めたことを高く評価する証に、高額での買収を持ち掛ける。 日本での早期株式公開という構想を実現するためには日本の株式市場インフラがまだ十分に整っていないと判断するや否や、ナスダック・ジャパン構想を打ち立て、証券市場の大競争時代を創り出す。一連の活動によって得られた諸々のキャピタルゲインを次なる日米の有望ネット企業に再投資する。 こんな循環は、「時代の大きな流れ」と合致したときしかできない。それが今なのだ。ざっといえば、これが孫氏の戦略のあらましである。この戦略のスケールがあまりに大きいため、大方の予想を遥かに上回るスピードで、日本にも「第二の条件」が整ってきたのだ。 どうやらシリコンバレー的世界が日本にも訪れそうである。日本社会はこれをどんな風に受け入れ、どんな風に拒絶しながら二一世紀を生きていくのであろう。 私はここシリコンバレーから、そんな「日本の変化」を、自ら起業したことによって経験する「シリコンバレーの叡智」と重ねあわせながら、じっと観察していきたいと思う。 ■
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