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新刊書評 「ハッカーと画家」

2005年4月11日[プレジデント]より


 「コンピュータの世界では、優れたプログラマたちが、やはり優れたプログラマのことを指してハッカーと呼ぶんだ。」

 自らもハッカーである著者、ポール・グラハムは、ハッカーの立場からの世界観についてエッセイを書き、ネット上で発表し続けてきた。自らもハッカーである訳者、川合史朗は、そのエッセイを翻訳して次々とネット上に公開してきた。世界中の、そして日本中のハッカーたちが、このエッセイ群は自分たちが言いたかったことを代弁していると深く共感した。本書はそれらが一冊にまとめられたエッセイ集である。ハッカーという言葉は「コンピュータに侵入する連中」ではなく「優れたプログラマ」という意味で使われている。

 「ハッカーと画家に共通することは、どちらもものを創る人間だということだ。作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーと画家がやろうとしているのは、良いものを創るということだ。」

 ハッカーは「良いものを創る人間」で、「良いものを創る」ことは「富を創る」ことに他ならない。俺たちハッカーは、論文を書くだけの学者や、決められたものを作るエンジニアとは一線を画す偉大な存在だ。芸術家たるハッカーこそがIT(情報技術)における価値の大半を創出しているんだ。そんな俺たちのことを理解してくれ。この本からは強烈な自負心を持つハッカーの叫びが聞こえてくる。

「凄腕のプログラマは半月で百万ドル相当の仕事をすることだってできるだろう。平凡なプログラマは同じ期間で、ゼロどころかマイナスの富を創ることだってある」「どの分野でも、技術は生産性の差を拡大する。プログラミングの世界で起こっているのは、単に技術による梃子の効果が非常に大きく効いているってことだ。あらゆる分野でこの梃子は次第に長くなっており、したがって時が経つにつれ、より多くの分野でこのような差が見られるようになってゆくだろう。そして、会社や国の成功も、この効果をどう扱うかにより大きく依存するようになってゆくだろう。」

 ハッカー独特の「容赦のなさ」がよく表れた文章だが、超一流と凡庸の差に関するこの記述は完全に正しい。しかし現代社会・現代組織は、こうした巨大な実力差をそのままに評価して報いる仕組みをほとんど持たないので、ハッカーの苛立ちは収まることがない。

 シリコンバレーでは、ハッカーの価値が比較的正しく理解されていて、そのことが地域の競争優位の源泉となっている。個人の頭の中から価値を創出できるハッカーと、少人数で難題に挑戦して全力疾走するベンチャー企業との親和性は高いからだ。加えて、ベンチャーから急成長した巨大企業は、今もハッカーの価値を尊重し、経営戦略に反映している。たとえば、従業員78,000人、売上高342億ドルの巨大企業インテルでも、ハッカー・タイプの超一流技術者を「アチーバー」(Achiever)と敬称して厚遇し、自由な環境を与え、成果に応じてフェローにまで昇格させる人事制度を用意している。

 一方日本企業はその対極にあり、組織への順応度が低いハッカーをはじき出す傾向にある。今こそ私たちは、本書から聞こえてくるハッカーの叫びに耳を澄ませ、その意味するところを熟考すべきなのである。

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