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シリコンバレーでNPO起こしたわけ

2002年8月2日[産経新聞「正論」欄]より

 ◆「新しい可能性」提示できれば
 本紙七月四日でも報道されたが、「ジャパニーズ・テクノロジー・プロフェッショナルズ・アソシエーション(JTPA)」(www.jtpa.org)というNPO(民間非営利団体)をシリコンバレーに設立した。

 シリコンバレーには、プロフェッショナルとして活躍することを目指し、技術志向の若者たちが世界中から集まってくる。その競争と切磋琢磨(せつさたくま)の中から絶え間なくイノベーションが生まれてきた。シリコンバレー経済は今どん底にあるが、水面下での先端技術開発の勢いは衰えていない。いずれ「まだ見ぬイノベーション」を創出し、世界経済を活性化させる役割を担うことだろう。

 そんなこの地で「人種や国籍を超え、独立したプロフェッショナルとして世界最先端の技術開発に関わる」という生き方を、将来を模索する日本の優秀な若者たちに「新しい可能性」として提示することはできないだろうか。このNPOはそんな思いからスタートした。

 ◆強い個と独自の人脈づくり
 日本企業からの駐在者(推定約三千人)を除くと、シリコンバレーで活躍する日本人が少ない(推定約五百人)ことはよく知られている。このNPOを準備する一環で、私はこの数少ない日本人を訪ね歩いてみた。

 彼ら彼女らに共通するのは「独立心旺盛で、日本の組織風土に閉塞(へいそく)感を感じ、自分の実力を頼りにシリコンバレー人脈を築き、第一線でとても忙しく働いており、日本人とあまり付き合っていない」という特徴であった。

 よって一人一人がインビジブル(見えない存在)でコミュニティーが存在しない。変わり者が多いわけでもなく常識的な社会人ばかりなのだが、群れないので日本社会との接点が少ない。皆が(私も)嫌いなのは、官公庁や日本企業におけるヒエラルキーをそのまま日常にまで持ち込むウエットな日本人社会の人間関係であり、その要素を排除したフラットなコミュニティーを作るのであれば、そこに参加して若い世代を支援していくことについて、程度の差こそあれ、多くの人が積極的であるということもわかった。

 これから二十年くらいかけて、この地にこんな人々が増えていき、強い個と独自の人脈をそれぞれ持った一万人の日本人(現在の約二十倍)が緩やかなコミュニティーをかたち作っているイメージを描いてみよう。

 素晴らしいイノベーションを生みだすベンチャーの創業グループにそんな日本人が居れば、今よりももっとシリコンバレー経済と日本経済とのリンケージ(つながり)は強くなるはずだ。今、中国や台湾で盛んに起きているように、シリコンバレー人脈を活かして日本に帰って起業する人たちも出てくるに違いない。

 ◆じっくりと地道に活動する
 レイオフやベンチャー倒産が常態のシリコンバレーでは、同胞のコミュニティー(例、インド系、中国系、台湾系)が新しい雇用機会の紹介を行うことで緩やかなセーフティ・ネットを形成しているが、いずれ同じような役割をこれからやってくる日本人の若者たちに対して果たせればとも思う。

 JTPAはそんな長期ビジョンを持つゆえ、通称「日本人一万人・シリコンバレー移住計画」とも呼ばれるが、ますますグローバル化して地域的に広がっていくはずの「21世紀・日本社会の一部」に違いないのであり、頭脳流出といった否定的な見方はあたらないと私たちは考えている。

 これからはじっくりと地道に、この地でのコミュニティー作りと、日本の若者たちへの情報発信を続けていくつもりである。ただ「何はともあれシリコンバレーに来たらどうか」といった安直なメッセージを発信するつもりはない。この地で生きていくための必要条件や厳しさも含め、奨学金・ビザ・留学・就職・転職・米国永住権などに関する具体的な情報を提供していく予定である。

 「高校生のときにシリコンバレーで生きるというライフスタイルがあることを知った。大学に入ってからもモティベーションを維持して勉強を続け、奨学金を得て米国の大学院に進んだ。そこで出会った教授や友人たちから誘われて一緒に起業して…」などとたくましく話す若い日本人と、たとえば十年後に出会えるとしたら、それこそが成果の一つだと考えている。

 日本の若者たちが抱く「言いようのない閉塞感」に対して多様な選択肢を具体的に提示していくことは、上の世代の私たちの役割なのである。

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