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モジラはなぜ失敗したか
1999年4月19日[日経産業新聞]より
シリコンバレーで創業時のベンチャー企業に入って活躍した技術者が、会社が大きくなったり、大企業に買収されると退社してしまうのは日常茶飯事のことである。 しかし、ネットスケープ・コミュニケーションズの創業時メンバーの一人、ジェレミー・ザウィンスキー氏(20人目の社員)の退社は、オープンソース型ソフト開発プロジェクトの成否という観点からは注目するべきことである。 ネットスケープは昨年3月未、「コミュニケーター」のソースコード公開を決定した。同時にmozilla.orgという独立サイトを創設し、ザウィンスキー氏がリーダーになった。 それから一年。このmozilla(モジラ)プロジェクトからは「コミュニケーター5.0」という成果物が世に出ないまま、リーダーが退社するという事態に陥った。同氏に続いて中核技術者たちの退社もうわさされている。 表に示すように、昨年11月、ネットスケープはアメリカ・オンライン(AOL)に買収された。顧客の方を向いてネット関連総合サービス業を指向するA0Lにとって、独自ソフトを開発するモジラブロジエクトの優先度は極めて低く、そのことが底流にあってのプロジェクト破たんであることは想像に無くない。 しかし、逆説的にいうと、オープンソース型のモジラプロジェクトが、自ら標榜するようにAOLから独立した存在であるなら、「モジラはLinuxのように自立的に進化し、AOLが驚くようなスピードで素晴らしいソフトが開発されても不思議ではなかったのではないか」という疑問がわいてくる。
ハッカー特有の価値観からくる「AOLによるネットスケープ買収に対する失意」などは差し引いても、純粋にモジラプロジェクトで何が起こったかを真摯(しんし)に説明している部分が面白い。 結局ソースコードを公開した後も、同プロジェクトを主導し続けてきたのは、ネットスケープの社員であるもともとの開発者たちで、外部のハッカーたちの参加が極めて少なかったらしい。 オープンソースの理念は「ソースコードをネット上で公開すれば、ソフトは進化する」というものだが、モジラの場合には、その進化が起こらなかった。 その意味で「Linuxはなぜ成功しつつあり、モジラはなぜ失敗しつつあるのか」というテーマは実に奥が深く面白い。私なりにいくつかの視点を提供してみたい。
第二に「公開される時点でのソフトの大きさと公開からの助走の長さ」の違いである。Linuxは91年に小さな核となるソフトが公開されて以来、ゆっくりと進化を続けてきたが、モジラはすでに巨大化していたソフトが公開された上、極めて短期間のうちに、膨大な数のハッカーたちが貢献することを期待していた。ここに無理があったのかもしれない 第三に「ソフトウェアの性格」の違い。Linuxは基本ソフトだが、モジラは基本ソフトとアプリケーションのちょうど中間に位置し、利用者との接点がより大きい。 第四に「リーダーのパーソナリティー」の問題である。「Linuxの成功の理由は」と尋ねられたあるLinuxの中核開発者は、「創始者であるリーナス・トーパルズのリーダーシップにある」と答えた。 私がリーナスと一度話した時の印象は「穏やかな人柄の優秀なオタク」以上でも以下でもなく、彼がネット上で発揮するリーダーシップの本質を垣間見ることはできなかった。 しかし、顔も知らない世界中のハッカーたちを無償で働かせつづけるには、何かえたいのしれないリーダーシップが必要なのだろう。
オープンソースという新しい現象を安易に理解しようと考えない方がいい。どうもよくわからないぞと感じつつ、何が起ころうとしているのかを観察しながら、もっと考えつづけていく必要があると思うからだ。
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