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レッドハット株式公開
1999年6月21日[日経産業新聞]より
Linux販売サポート最大手のレッドハット・ソフトウェアがまもなく株式公開(IPO)を果たす。 私はとても複雑な気分でこのニュースを聞いた。 最近、成功するかしないかが証明されないまま株式公開を果たすネット関連ベンチャーが急増しているが、そんなネット企業に対してさえ持ったことのない「何か釈然としない感じ」を、私はレッドハットに対して抱いている。 確かにレッドハットは無償OS(基本ソフト)のLinuxという「時代の大きな流れ」とシンクロナイズし、「反マイクロソフト陣営」の重要な一要素として産業界から認知され、これからの成功はある程度疑う余地がない。その意味で株式公開は当然の展開なのだ。しかし……。 Linuxは世界の優秀なプログラマーたちの無償で自発的な開発行為によって生み出された「不思議なモノ」である。この「不思議なモノ」は欲しけれはだれだって無償で手に入れることができる。だからLinuxそのものは「製品」とはいえない。 しかし、レッドハットはこのLinuxを「製品」として値段を付けて(最新CD−ROMバージョンは80ドル)売っている。なぜこんな事業が成立するのだろう。 Linuxはその創始者のリーナス・トーパルズ氏がたった一人で開発した中核部分をネット上に無償公開したところから進化を始めた。91年のことだ。以来Linuxはマニアによって開発が進められ、マニアが利用してきた。 このころに生まれた初期のLinux周辺事業は、Linux関連書籍の出版事業だった。マニアといえども解説本くらいは欲しい。しかしLinuxプログラマーたちは開発行為に熱中しても、解説本を書くことにはあまり関心を示さなかった。 そしてさらに利用者が増えてくると自分でネットからダウンロードして自分でインストールするのが大変だ、と感じる利用者も出てくる。そこで生まれた第二のLinux周辺事業が、Linuxそのものとインストール用ツールと解説書をまとめて箱に入れたパッケージソフト事業だった。 レッドハットはこの分野の先駆け企業で94年に設立された。開発行為をほとんと伴わないパッケージソフトという意味で、比較的安易な事業ということもできた。
Linuxの技術的秀逸性が認められ、オープンソースと呼はれるざん新な開発体制を世界中が注視し、Linuxは一躍、メジャーストリームに躍り出た。ウィンドウスNTへの脅威が突如として現れたことに、反マイクロソフト陣営も色めき立った。 しかし、一気に利用者数が爆発しそうになったとき、「待てよ、今のままのLinuxでは素人はだれも使えないじゃないか」「何か問題があったとき、だれが責任を取ってくれるんだ」 マニアが楽しみで開発し、その成果をマニアだけが使っていた牧歌的Linux時代が突然終焉(しゅうえん)を迎え、こんな一般利用者からの悲鳴が上がり始めたのだ。 Linuxという新しい流れをより確実なものにするために不可欠な「重要な一部分」が欠落していることを産業界は一夜にして認知することになった。 重要な欠落部介とは「Linuxと一般利用者とのギャップを埋める」サービス事業である。技術的な面白みはないが、なくてはならない大切な事業だ。 昨年夏のそんなとき、 「その欠落を埋めるためのどんなつまらない仕事でも徹底的にやり抜きますよ。だから支援して下さい」 産業界に対してだれよりも早くそんな意思表示をしたのがレッドハットだったのである。以来、現在までのレッドハット疾走の経過は表に示す通りである。 つまり、レッドハットがLinuxを「製品」として売る根拠は、サポートを中心とする顧客サービスの提供者としての付加価値ゆえなのである。
(1) 昨年からのレッドハット疾走のプロセスがあまりにも出来レース的で「成功を約束された感動のない疾走」だったように感じること。 情報技術産業の重点が製品事業からサービス事業にシフトしていることは明らかだ。しかし「かたやボランティア・プログラマー、かたや株式公開」という極端な対比において、製品無償・サービス有償の事業モデルがこんなにまで鮮やかに提示されてしまうことに、私はどこかで違和感を感じているのかもしれない。
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