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The Archive

2002/11/01


エスター・ダイソンの最新コラム「It's the Information, Stupid!」は、IT産業における次なる新しい需要について、彼女の考えを書いている。
「But for the IT sector, as for any other, there need to be specific reasons to spend money. Most chief information officers get a flat budget simply to keep their systems running. If they want any increases, they need projects to justify them.」
というのが現在の米国のIT投資の現実であるが、この現実を打破するためには、具体的なビジョン提案が必要だ。

ビジョナリーとして、エスターはこの論考の中で、「cross-system data interoperability」というコンセプトを提示している。

エスターのビジネスの柱の一つは、年に一度アリゾナで開催される「PC Forum」に人を集めて斬新なコンセプトをぶつけ、ハイテク産業界に影響力を行使することなのだが、どうやら2003年3月の次回「PC Forum」のテーマはこれでいくと決めたらしい。

僕は個人的には「このコンセプトでは少し弱い」と感じているが、果たして反響はどうだろうか。

ちなみに、エスターが書いた論考で、ニュースレター有料購読者以外にも読めるものは全部、ここにアーカイブされている。

さて、11月は諸般の事情でものすごく忙しいので、更新頻度が少なくなります。

2002/10/31


今日はハロウィン。我が家も、ジャックがスーパーマンならぬスーパードギーに扮して(写真)、子供たちを迎えた。今年春引越しをしたので新しい家では初めてのハロウィン。去年は150人くらいの子供たちがひっきりなしにやってきたが、家のロケーションによって訪ねてくる子供の数はものすごく違う。その通りに子供の居る家がたくさんあるかどうか、通りが袋小路になっているか、車の通る大通りからの距離、家の密集度などなど、いろいろな要素で人の流れが変わってくる。結局、前の家に比べると、やってくる子供の数は少なく、少し寂しいハロウィン。用意していたキャンディはずいぶん余ってしまいました。

子供たちを待つスーパードギー、ジャック。

ついでにもう一枚、ハロウィンのジャック。


僕の起業は亡命から始まった!」というアンディ・グローブ前半生の自伝は読みごたえがある。

この間アップしたフォーサイト連載の最新号『日本の「モノづくり」は死なず』を書くためにニューコア・テクノロジーの渡辺誠一郎さんを取材したとき、インテル時代にグローブを間近で経験した渡辺さんは、グローブのすさまじさ、常に発しているオーラのようなものについて強調されていた。この本を読むと、なるほどなぁ、と思う。

この本は英語版「Swimming Across」が出たときに、最後の章だけ読んだ。その章の中で、彼は亡命してたどりついた東海岸から、大学院に進むためにサンフランシスコ・ベイエリアに車でやってくるくだりがある。僕の好きな文章だ。
「I fell in love with San Francisco Bay Area from the moment I drove through a tunnel north of San Francisco and saw the city glittering in the sunshine. It was everything Professor Kolodney had suggested it would be. It was beautiful. It was friendly. It became home. I’ve lived in the Bay Area ever since.」
アンディは、苦労しながらニューヨークの大学で勉強しながらも、ニューヨークが好きになれない。Professor Kolodneyに、ニューヨークは寒いし雨が多くて汚くて嫌いだ、と愚痴をこぼす。故郷のブダペストの美しさが懐かしかったのだ。そうするとProfessor Kolodneyは、ならばサンフランシスコに移ったほうがいいかもしれないな、とアンディに言う。それが頭を離れず、アンディは結局サンフランシスコにやってくる。そのときのシーンである。

2002/10/30


マクロメディアのDesigner and developer conference「Macromedia DevCon 2002」がフロリダのオーランドで始まった。同社CTOのJeremy Allaireが、「audio and video blogging」をやっている。さすがはマクロメディアである。ここに映像がアップされている人々の顔かたちや姿は、米国ハイテク産業を支える人々に典型的なもので、やはり映像があると、ある種の雰囲気を醸し出す効果がありますね。


この間ご紹介したSTRATFOR、有料サイトになってしまいました。STARTFORのように特徴あるコンテンツを持つ会社のコンテンツビジネスという観点からは当然の戦略展開。さて購読料を$119.95/年を支払うかどうか決めなくてはなりません。


僕がメジャーリーグの大ファンで、サンフランシスコ・ジャイアンツの応援にしじゅうPacific Bell Parkに通っているのを知っている東京の友人から、「ジャイアンツは惜しかったですね。第6戦の逆転劇で一気に流れがエンジェルスに行ってしまった感じでした」というメールをもらった。確かに本当に惜しかった。残念無念。次にワールドシリーズに行けるのはいつだろう。

僕はその友人にこんな返事を書いた。
「拝復。第六戦を勝ちきれなかったところがすべてでした。でも本当は第二戦を勝たなければいけませんでした。7点だか8点だかのビハインドを、一度はひっくり返したのですから。敵地での二連勝で始まっていればなぁ。ポストシーズンでも、ダスティ・ベーカー監督が、よくも悪くも、セオリーに忠実な、長丁場を5割以上の勝率で確実に勝ちきるための采配をし続けた。だからこそワールドシリーズにまで来られたし、だからこそワールドシリーズを勝ちきれなかったということだと思うなぁ」

野球は「読むスポーツ」だとよく言われるが、「Angels celebrate, Giants wonder 'What if?'」が、サンフランシスコ・ベイエリア(シリコンバレーという言葉はここではあまり使われず、この地域のことをベイエリアという)の野球ファンの思いをよく表している。「7回裏に先発のラス・オーティスを代えなかったらどうだったろう」「第七戦のDHに六戦で活躍したダンストンを入れていたらどうだったろう」などなど、振り返って、いくらでもああでもないこうでもないと話し続ける感じ。昨日も、提携関係にあるベンチャーキャピタルでの打ち合わせが始まって最初の15分くらいは、ワールドシリーズの「What if?」の話ばかりであった。

2002/10/29


期間限定サイトと書いてあるのでいつまで読めるのか知らないが、新潮社の「海辺のカフカ」サイトに掲載されているロング・インタビュー「村上春樹、『海辺のカフカ』について語る」に、村上氏がどういうペースでこの作品を書いたのかが語られている。

ちょっと長いが引用すると、
「執筆の日課というのは僕の場合すごく厳密に決まっているんです。朝に書く。夜は書かない。長編小説を書いているとき、朝はどんなに遅くても四時には起きます。もっと早く起きるときもよくある。三時とかね。目覚ましをかけなくても、身体が勝手にぱっと目覚めちゃうんです。そして目覚めるともうすぐに机に向かって書き始めちゃうんです。そしてコーヒーを飲みながら、四時間か五時間ぶっとおしで書きます。出来上がるのは400字詰めの原稿用紙でいうと、ちょうど10枚。それより多くも書かないし、少なくも書かない。(中略) それから運動をして、午後はだいたい本を読んだり、散歩をしたり、翻訳をしたりします。短い昼寝もする。夜は何もしなくて、音楽を聴いたりビデオを見たりして、九時くらいには寝ちゃうかな。ナイトライフなんて皆無です。(中略) で、毎日10枚書いて、一月に300枚、半年で1800枚。これで出来上がり。そこから分量を減らし気味に書き直して、結局1600枚くらいで落ちついたわけです。」

人によって仕事のスタイルというのはぜんぜん違うわけだが、僕の理想の生活(小説を書くという意味ではもちろんなく、小説を書くという行為を仕事一般に置き換えて考えると)に限りなく近い。でも、さらっとこんなふうに語られているスタイルを貫徹するのはとてつもなく難しい。Preferenceが限りなく近く、できればそういうスタイルを貫けたらなぁといつも思っているだけに、その難しさがとてもよくわかる。

しかしそれにしても、「翻訳をする」という行為が、読書と散歩と昼寝と並列に置かれるところが、この人らしいところである。

村上龍がたしか「ヒューガ・ウィルス」のあとがきか何かで書いていたのは、20日間ほど山荘かどこかに編集者と一緒にこもって、一気呵成に書いた、というような話だったと記憶しているが、僕にはとてもそういうスタイルで仕事をすることはできないな、と感じたのを思い出す。

2002/10/28


こういう変な人の話はとても面白いですね。「古いコンピューターを宝の山に変える新ビジネス」()と()。 古いコンピューターが大好きで、時代遅れになった機械の膨大なコレクションを持つセラム・イスマイルという人の話だ。 彼はビンテージ・テックというコンサルティング会社を経営しているらしい。「データ変換から映画製作者への古いコンピューターの貸し出しまで、さまざまなサービスを行なっている」とのこと。好きで好きでしょうがないことで飯を食っている人の話は読んでいて楽しくなる。10/26-27に、ビンテージ・コンピュータ・フェスティバル というのがシリコンバレーで開かれたらしい。僕はもちろん行かなかったけれど。ためしにGoogle Newsで検索したら、ローカル紙がこのフェスティバルをカバーしていました。

Hundreds of geeks expected at old computer festival」(オークランド・トリビューン)

この記事の中に出てくる「Computer History Museum」という組織の設立に、僕も少し関わっているのだが、その話はまたいつか。


実験的にBLOGなるものをはじめてみると、自分の興味の傾向のようなものが改めてわかるという面がある。プロスポーツ選手のトレーニングと同じで、ある一定量の勉強というのはずっと毎日続けているわけだが、その一端を、意識的に記録していく試みが僕のBLOGの大半になっている(面白いと思う人がどれだけいるかはぜんぜんわからないが)。

何を記録しておくか(BLOGするか)というのは直感で決めているのだが、そこにはどうしても傾向が出る。一つには(これはもちろん意識していたことだが)、「オリジナルで一流の仕事をしている人の肉声」というのに、僕は大きな価値を置く傾向がある。ここ十年、シリコンバレーの最先端を疾走する一流経営者や天才技術者やビジョナリーたちのインタビュー記事・発言内容・寄稿から多くのインスピレーションを得たので、これは確かな傾向といえる。

もう一つ気づいたのは(これはあんまり強くは意識していなかった)、アメリカの高等教育の内容やシステムにものすごく興味があるらしい。この間アップしたMITのオープンコースウェアの話もそうだが、次のような地味な話も、読んでいると思わず面白くて、時間がたつのを忘れてしまう。中学・高校時代から夢見ていたアメリカ留学が、結局いろいろな事情で実現できなかったから、未だにアメリカの大学に憧れに近い気持ちをいだいているのかもしれない。

たとえば、「Computing Curricula 2001 : Computer Science Volume」 というサイト。これは山根信二さん(岩手県立大学ソフトウェア情報学部助手)のサイトを読んでいるときに見つけたもの。1991年に作られたアメリカの大学におけるコ ンピュータサイエンスのカリキュラムを、2001年に改訂しようというプロジェクトの報告書だ。たとえば大学のカリキュラムの中身以外の部分でも、報告書の第三章「Changes in the Computer Science Discipline」 には、この十年でのコンピュータサイエンスをめぐる技術と社会の変化がまとめられていて、なるほどねぇ、こういうふうに総括するのか、と勉強になる。この十年での技術的進展は、(1) The World Wide Web and its applications (2)Networking technologies, particularly those based on TCP/IP (3) Graphics and multimedia (4) Embedded systems (5) Relational databases (6) Interoperability (7) Object-oriented programming (8) The use of sophisticated application programmer interfaces (APIs) (9) Human-computer interaction (10) Software safety (11) Security and cryptography (12) Application domains と12項目挙げているが、確かにそれぞれの項目ごとの進歩を思うと、十年という年月の長さが感じられる。10年前、20年前に大学を出た人と、今これから教育を受ける人はぜんぜん違うことを学ぶのだなぁ。


Kevin Werbach氏は、いまはIndependent technology analystだが、少し前までハイテク業界No.1のニューズレター「Release 1.0」の雇われ編集長だった(オーナーはエスター・ダイソン女史)。そのWerbach氏が書いた最新の論考「Tech's big challenge: Decentralization」は一読に値する。彼は、独立して、SuperNovaというコンファレンス事業を立ち上げようとしている(12月開催予定だが、参加費1795ドルではどれだけ集まるかなぁ)ようだが、そのコンファレンスの中核コンセプトをなすのがこの「Decentralization」というテーマであるだけに、なかなか気合いが入った文章に仕上がっている。

2002/10/27


かなり長いので、まだ全部は読んでいないのだが、New York Times日曜配布の別冊雑誌に掲載された二つの論文。90年代をポール・クルーグマンが総括する「For Richer」(先週号)とマイケル・ルイスが総括する「In Defense of the Boom」(今週号)。いまのところウェブで読めるようなので、とりあえずご紹介のみ。

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