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The Archive

2002/12/21


今日、12月21日は、父の命日である。

亡くなったのが1980年だから、もう22年も経ったのかと、改めて歳月の過ぎ行く速度に、深い感慨をおぼえる。

先日、同世代の友人とランチを食べながら話をしていたとき、「この年になって初めて、親の気持ちがわかるようになって、感謝の気持ちを心から持つことができるようになったわ」という彼女の言葉に、僕も全く同感だなぁと思い、父のことをあれこれと考え込んでしまった。

僕の父は梅田晴夫という作家だった。作家といっても、一生純文学を書き続けるというタイプの人ではなく、興味が次から次への新しいことに移っていくため、小説、評論、戯曲、ラジオドラマやテレビドラマのシナリオ、エッセイと書くものは幅広く、広告代理店の経営にたずさわったり、出版社を創業して倒産させて無一文になったり、万年筆をデザインしたり、何だか不思議な人であった。今日は命日だから思い切って言ってしまおう、そして最高に魅力的な人だった。

資料蒐集癖のある人だったから、インターネットの世界を垣間見せてあげることができたら、さぞかし面白がっただろうなぁと思ったりもする(今もし生きていれば82歳なので、病気にならなかったら、そういうこともできたかもしれない)。

思いついてGoogleで検索してみたら、父の写真が出てきた。懐かしくて、驚きである。万年筆蒐集家でもあった父は、1970年代に、プラチナ万年筆からの依頼で「理想の万年筆」とやらを設計した。そのサイトである。趣 味人の世界は、ビジネスや文芸の世界よりも人を使い捨てにせず、大切にするのかもしれない。こんなサイトがまだあるなんて。

僕がコンピュータの世界に足を踏み入れたのも、父の話が最初のきっかけだったと記憶している。僕が小学校5年生くらいのときだったと思うが、職業柄海外の文献を渉猟するのが常だった父が、「コンピュータを個人が買えるようになるらしいよ。プログラムというものを書けば、自分の思い通りにコンピュータを動かすことができるらしい。手に入るようになったら買ってやるよ」とある日僕に言った。1971年か72年のことだったから、父の情報ソースは、インテルのニュースか何かそんなものだったのかもしれない。プログラムと聞いて当時連想したのは映画のプログラムで、僕には何のことかさっぱりわからなかったが、未知の世界が自分の前に広がった気がした。

父の名前で検索したページを繰っていったら、1965年に35歳の若さで亡くなった山川方夫という作家の年譜のページが出てきた。僕の小学校に上がる前の数少ない記憶の一つに、「山川方夫(僕の記憶の中では、この名前は、まさおと読む、正しいのだろうか?)というたいへんな才能のある人が交通事故で亡くなった」というのがある。僕の記憶は、父がたいへんな衝撃を受けていたという曖昧な記憶だ。そしてこの年譜を読んで再び驚く。「昭和22年(1947年)17歳 この頃二宮在住の劇作家、梅田晴夫を母に連れられて訪ねる。」とある。そして「昭和25年(1950年)20歳 筆名に山川方夫を使う。ペンネーム・山川方夫の由来は、父秀峰の師鏑木清方の「方」と、私淑していた梅田晴夫の「夫」を取って付けたという。」とある。そして、まだこれからという35歳のときに、「昭和40年(1965年)2月19日午後12時30分頃、二宮駅前の国道横断歩道で頭蓋骨折の重傷を負う。翌20日午前10時20分、大磯病院の病室で家族に見守られ死去。22日、二宮の自宅にて葬儀」とある。そうか、事故にあったのは二宮の国道だったのか。それだと僕もよく知っている場所だ。なぜなら二宮には父の生家があったから。自分を慕ってペンネームに自分の名前を一文字取った十歳年少の弟のような存在が、成功しはじめてさあこれからというときに、自分の家のすぐそばで交通事故死したのか。そうかぁ、そういうことかぁ。それなら、父の受けた衝撃、哀しみはとてもよくわかる。

父の著書で、書かれた当時(1974年、僕が13歳のとき)はぴんと来なくて、この歳になって感動するのが「ひまつぶしの本 (副題: 無我夢中に楽しむ法)」という不思議な本だ(僕の手元にある本が、初版から10年後の1984年発行の第43版だから、ずいぶん売れたのだなぁと驚く)。スーパー源氏のような古本屋にいくと今でも売っているようだが、この本には、ただひたすら、ひまつぶしのためのノウハウというか思想がこれでもかこれでもかと書かれている。本の扉には「あそびの神髄 --- ひとりで遊ぶ、金をかけない、我を忘れる、無から有を生む、なんにもならない」と書いてある。そして「無我夢中になる遊びのすべて --- マッチの棒高跳び、・・・、サイコロ野球、記録マニアの紙上競馬、・・・、ストロー・サッカー、鉛筆ゴルフ、・・・、ポルノ・クロスワード・・・」。

本の裏表紙に載せた著者自身のコマーシャルという文章の中には「したがって私自身もなるべく世のため人のためにならないように、つまり人類の進歩に決して貢献しないようにということを旨として、ひたすら首をちぢめて生きているのである。だから私の信条といえば、すなわち常にその場に<へたりこむ(ドロップ・イン)>することなのである。」なんて人を食ったようなことが書いてある。あとがきを「私のアソビはいつでも、心を許した愛人か、同じく心を許した三人の家族たちというごく狭い円環の中でしか成立しないわけだが、今日のように銘々が自分の立っている場所で退屈しきっている時代には、こうしたいじましくもあるかもしれないアソビの中に、かえって迫力と凄みが生じるのではないかと考える」なんて文章で締めている。

父の命日に際し、久しぶりに、この本を読んでみた。十代の頃には全くその良さがわからなかったが、間違いなくこの本は父の代表作であり、僕の血の中には、この本に書かれている思想が脈々と息づいているのだと痛感したのだった。

2002/12/20


12/19の続きでBLOGサイトのご紹介。あと八人ほど紹介して、とりあえず20サイトにしておこう。

十三人目は、一つ前のBLOGで紹介したSalon.comのManaging editor、Scott Rosenberg

十四人目は、founder and CEO of O'Reilly & Associates のTim O'Reilly

十五人目は、作家Cory Doctorowの「Boing Boing

十六人目は、Doc Searls。Linux WorldのSenior editorで、「The Cluetrain Manifesto」の著者の一人。

十七人目は、Moreover Technologies創業者のNick Denton

十八人目というか十八個目は、David P. Reed, Bob Frankstonの二人がやっているSATNというサイト。この二人については、このサイトをご参照。

十九人目は、Lawrence Leeの「Tomalak's Realm」。Dave WinerのScripting Newsと同じくらいの老舗のBLOGサイト。

二十人目は、Mitch Ratcliffe。ベテランのジャーナリスト、編集者、ウェブサイト主宰者。ビジネスコンサルティングもやっている。

これで20のBLOGサイトをご紹介したわけだが、このあたりをぶらぶらすると、どんなことが今ホットであるかがリアルタイムでわかる。 また気がついたBLOGサイトがあれば、ブックマークにアップしておきます。


本欄で何度かご紹介した「SuperNova」コンファレンスについて、Salon.comのManaging EditorであるScott Rosenbergが書いたエッセイ「Life on the edge」が面白い。

「The technology industry has long been shaped by the creative tension between technologists and businesspeople, otherwise known as geeks and suits. Geeks make new stuff primarily because it's fun, because it's useful, and because they can. Suits make new stuff primarily because they hope to earn a profit. Yes, that is an oversimplification, and there's overlap between the two types -- there are plenty of profit-seeking geeks and geeky business folks. Still, the distinction is real.」
ギーク(technologist)とスーツ(businesspeople)の対比の話が冒頭にある。このコンファレンスはまだギークの段階にあるという彼のロジックの背景にある考え方は、僕が12/17にアップしたBLOG の問題意識と近い。ぜひご一読を。

2002/12/19


BLOGがアメリカでは本格的なブームになってくる兆しだ。読み手としてのBLOGの楽しみ方は人それぞれだろうし、アメリカのBLOGと日本の個人日記サイトと何が違うのかみたいな議論もあるらしいが、僕が個人的に面白いと思うのは、「某かの分野で一流の仕事をしたというトラックレコードをすでに持つ人」が、自らの興味の対象について膨大な量のコメントをリアルタイムで発信している点だ。トラックレコードを持つ人たちが有している情報や人的ネットワークの質は、普通の人が持つ情報の質と明らかに違う。それがリアルタイムで公開されているところが、アメリカのBLOGの素晴らしいところである。

いくつか事例を挙げよう。ここで紹介するサイトは、僕のブックマークのページにもリンク集を作ります。

一人目がDan Gilmore。San Jose Mercury Newsを拠点に活躍するテクノロジー・ジャーナリスト。彼のSan Jose Mercury Newsへの寄稿の一部は日本語で朝日新聞のサイトで読める。 たとえば、彼の最新作「まだ著作権カルテルがほとんど勝っているが」をご参照。

二人目がKevin Warbach。エスター・ダイソンが主宰するニュースレター「Release 1.0」の編集長をつとめた経歴の持ち主。今月は「Decentalization」というテーマで「SuperNova」というコンファレンスを主宰した。

三人目がLawrence Lessig。レッシグについては一つ前のBLOGに書いたので省略。

四人目がJohn Patrick。 2001年末にリタイアするまで、IBMの「Vice president of Internet Technology」だった人だ。「Net Attitude」という著書もある。

五人目がMitch Kapor。 誰もが知るロータスの創業者。今はMicrosoft Outlook対抗ソフトを作るべくオープンソース・プロジェクトを起こして話題となっている。

六人目がRay Ozzie。 最近少し更新が止まっているが、ロータスを開発したRay Ozzieは、今、GrooveNetworksの創業者である。

七人目がMichael Helfrich。 Grooveついでに、「Vice President of Applied Technology, Groove Networks」。

八人目がHoward Rheingold。 翻訳書も多数ある行動派ジャーナリスト。説明の必要はなかろう。近著「Smart Mobs」がこのBLOGサイトのタイトルになっている。

九人目がDavid Weinberger。「The Cluetrain Manifest」の著者の一人である。

そして十人目がDave Winer。 Scripting Newsは、1997年に始まったBLOGの老舗だ。

十一人目がAmy Wohl。情報産業を25年にわたって追い続けている書き手。

十二人目がSteven Johnson。 「Interface Culture」「Emergence: The Connected Lives of Ants, Brains, Cities, and Software」の著者である。

十三人目以降は、追ってまたご紹介したい。
以上今日ご紹介した12人は、比較的興味の範囲が広い人たちであるが、技術的な専門領域ごとには、その領域でのトップ企業の一流エンジニアによるBLOGがそれ ぞれ存在している。

2002/12/18


この時期は例年、静かに勉強ができていい。アメリカはまもなくクリスマス、それが終わると日本が正月休みということで、丸々三週間くらいは自分ひとりで考える時間を持つことができる。 今年はきちんとローレンス・レッシグを勉強しようと思う。レッシグという同世代の天才(そう言い切ってしまっていいのだろう、このくらい才能に恵まれてエネルギーが充実した人については)が考えている壮大なアイデアについて、生半可な勉強ではすべてを理解することはとてもできないのだ。幸いなことにレッシグの著書の「CODE」と「THE FUTURE OF IDEAS」は、山形浩生という名翻訳家の手による翻訳書がすでに出版されている。この二冊の原書と翻訳書「コード」と「コモンズ」にあたりつつ、レッシグのウェブサイトでの最新の論考(BLOGも含めて)も刺激剤に、あれこれと考えてみたいと思う。

余談になるが、山形浩生氏のここ五・六年の翻訳活動と解説活動による「日本への知的貢献」というのはすさまじいものがあると僕は思う。ポール・クルーグマン、エリック・レイモンド、ブルース・シュナイアー、そし てローレンス・レッシグ。英語できちんと読まなければならないはずの同時代の重要な本が、彼によって相当早い段階で選ばれ(とにかく目がいい)、ものすごいスピードでそれも正確に翻訳され(語学力と背景知識と文章能力が著しく高い)が、親切でわかりやすい解説(啓蒙精神に溢れている)までついて出版される。ありがたいことである。山形氏の言論スタイルには違和感を持つ人もいるかもしれないが、少なくとも彼の翻訳活動については超一級品と評価して間違いない。

2002/12/17


ナップスター登場以来の著作権侵害に関わる大論争における、シリコンバレー寄りの論調でよくまとまっているのが、このTim O'Reillyの「Piracy is Progressive Taxation, and Other Thoughts on the Evolution of Online Distribution」という論文である。 「著作権侵害は累進課税である」というタイトルからもわかるように、この論文は、「誰からも知られることなく埋もれてしまう膨大な量の作品」のほうにこそ解決すべき真の問題があるのであって、売れに売れている作品の著作権侵害は、累進課税のようにみなして容認するほうがよいという立場を取っている。そして、

Lesson 1: Obscurity is a far greater threat to authors and creative artists than piracy.
Lesson 2: Piracy is progressive taxation
Lesson 3: Customers want to do the right thing, if they can.
Lesson 4: Shoplifting is a bigger threat than piracy.
Lesson 5: File sharing networks don't threaten book, music, or film publishing. They threaten existing publishers.
Lesson 6: "Free" is eventually replaced by a higher-quality paid service
Lesson 7: There's more than one way to do it.
という7つのステップで、ファイル交換ネットワークの正当性を主張している。僕は二年少し前、ナップスターの登場に刺激されて、「ネット革命のユーフォリアは終わった」という文章を「日経ビジネス2000年9月11日号」に書いた。その中で、
「情報技術(IT)革命、ネット革命、e革命。 革命には、旧秩序の破壊と新秩序の構築という2つの要素が必要である。「この破壊と構築は、誰によって、どんな時間差を置いて達成されるのか」という設問を置くことで、現在起きていることの本質を考えてみたい。」
と論を起こした。そしてナップスターについてはこんなふうに結論付けた。
「ナップスターの衝撃の本質は、直撃を受けた音楽産業の狼狽ぶりからも明らかなように、「旧秩序に対する爆発的破壊力を持ちながら、新秩序の提案はあまりにもお粗末」という特質にある。この極端な「バランスの崩れ」を旧勢力は容認できず、著作権侵害訴訟を通しての国家の介入を招かざるを得なかった。」
あれから二年以上経過した今書かれたTim O'Reillyのこの論文についても、相変わらず「新秩序の提案はあまりにもお粗末」と批評せざるを得ない。それはTim O'Reillyに非があるのではない。
「冒頭の設問に対して、「新興ネット企業群の手によって旧秩序の破壊が著しく進行するが、新秩序の構築は別の勢力の台頭を待たざるを得ず、破壊と構築の間にはかなりの時間差が生ずる」という仮説が十分に提示可能である。 破壊と構築の担い手が別々で、破壊と構築の間にかなりの時間差があるという仮説は、今後のネット革命に混乱が生ずる可能性を示唆している。」
という状況は、二年以上たっても全く変わっていないからなのだ。「破壊と構築の担い手が別々で、破壊と構築の間にかなりの時間差がある」という状態を、旧勢力が容認できるわけがない。そして容認しない旧勢力側の論理を、一概に守旧であると責めるわけにもいかない。それは旧勢力側が現在の経済を回す主体となっており、新勢力側の代替案が、その旧勢力に変わって経済を回すに足る提案になっていないからである。これが、シリコンバレー対ハリウッドの対立の背景にある本質的問題なのだと思う。

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