Muse Associates Pacifica Fund JTPA Mochio Umeda





The Archive

2003/01/01


謹賀新年。

最近、Decadeということについてよく考える。Decadeに一対一で対応する日本語は存在しないが、言うまでもなく、10年間のまとまりを意味する言葉だ。 我々は普段1年を単位にあれこれ考えるものだが、たまにはDecadeを単位にモノを考えてみるといいのかもしれない。

最近思うのは、Decadeというのは実はものすごく長い時間で、その間に膨大な量のことが起こり、ものごとは取り返しがつかないほどに大きく変化してしまう、ということだ。

Decadeをばかにしてはいけない。 たとえば、インターネットとWWWが現実のものとなって今年で1 Decade。10年でここまで、というのは凄いことだと思う反面、10年というとてつもなく長い時間をかけたのだから、このくらいの変化が起きても当たり前だと考えるほうが自然かもしれない。 何しろ、終戦から現在までの日本の変化だって、Decadeで考えれば、たったの6つ弱。戦後の復興だけを考えれば、2 Decadesで完成した。最近の中国の勃興だって、たったの1 Decadeでもたらされたものだ。

歴史家のポール・ジョンソンは名著「近代の誕生」の中で、1815年から1830年までの15年間を、近代世界の基盤がほぼ形成された時期だととらえ、その時代のことをこの本の中で詳述している。そして、その始まりの1815年からDecadeで数えれば、現在にいたるまで、Decadeを19回、繰り返してきたに過ぎない。

つまり、これからの10年、というのは、近代の始まりから数えたって、たった20回目のDecadeであり、「近代以降全体の20分の1」もの長さの時間を意味している。科学技術の進歩・発展が進みありとあらゆる変化が加速されていることを考えると、これからの10年、というのは、想像もつかないほどの変化を、我々の社会にもたらすに違いないのである。

ハイテク産業史を眺めても、半導体が5 Decades。コンピュータも5 decades。PCが2 Decades。ネットが1 Decade。これからの十年が、それぞれの歴史にあと1decadeつけ加えるとき、それらが相乗的に引き起こす社会変化は大きくて当たり前なのだ。

つまり次のDecadeで何が起きるかについては、「とてつもない大変化が起こるのが当たり前だから、その引き金は何か。そしてその引き金からどういうプロセスでどんな大変化が引き起こされるのか。それらをイメージし、そのイメージの中で現在起きている一つ一つの事象の意味を位置付けながら考える」視点で、常に強い緊張感を持って世界を見つめ続けていかなければならないのである。

日本について気になるのは、「失われた10年」といった安易な表現に現れる「10年くらいじゃぁ何も変わらないよ」という諦観が、社会を覆っていることだ。Decadeをバカにすると、取り返しのつかないことになると思う。個人で考えても、社会の中できちんと意味のある仕事ができる期間など、普通なら 1 Decade。長くても2 Decadesくらいしかないのだから。

>> Go to Blog Archive

Top
Home > Blog

© 2002 Umeda Mochio. All rights reserved.
contact info@mochioumeda.com